単なる事実

このところ、言われたことを『単なる事実』として受け取ってみる、ということを意識してやってみています。
というのも・・・、
何かを言われたときに、どうしてそれを今、わたしに、何の目的で、何の意図があっていうのだろうか、
などと言葉プラス余計なものをくっつけて考えてしまっているな、と思ったからです。
この余計なものがもれなく付いてくるというのは、自分のパターンが引っかかっているということ。

自分が嫌だと思う人から何か言われると、
トゲがあるように聞こえたり、自分を否定しているのではないかと、悪い方へ結び付けて受け取ってしまうことがあります。
でも、自分が好きだと思う人から言われると、
どこか好意的に聞こえたり、自分へのラブコール的(励ましや、肯定するようなもの)に受け取ってしまう自分がいます。
これって、どちらもパターンで受け取っている、ということ。

単なる事実として受け取っているかどうかは、
胸のざわざわがそれを教えてくれます(便利だ~胸のざわざわ)。
何もなければ、淡々と、「はい、そうですか」と次のことへ平常心で移れるのに、
そうじゃないときは、何かしらの感情が働き、体が一瞬止まり、
頭の中は、その言われた意味を猛スピードで考え始め、事実がねじ曲がっていくのです。

でも、そうやって反応している自分のことを、高い所から見下ろすように、
パターンの動きをみては何か楽しむような、展開をじーっと観察して見ている自分がいることもあるのです。
「そうだよね、あなたはそう思っているのね」
とざわざわしている自分を、穏やかなまなざしで見ているのは「私」なのだと思います。
何かと比べるわけでもなく、裁くわけでもなく、あきれるわけでもなく、
ただそこにいて自分に起きていることを見守って見ている。

「この事実には意味はない」
と受け取っていくと、本当になんということもなく時間がゆっくり流れていく感じがします。
何かを言っている相手にも、自然と真っすぐ顔をあわせられるような気がしました。
そこに不安とか、怖さとかはなくて、
ただ水の流れを見ているような静けさがあります。
















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