一汁二菜

このところ暑くなってきたので、夕飯はさっぱりと冷たい麺類にしています。
先週はほぼ毎日冷麺を食べました(一度はまると、飽きるまで食べようとする自分)。
キムチときゅうりさえあれば冷麺としては形になるので、
あとはおかずがあれば、それも乗っけて食べたりします。
意外と白ごまが大事で、ふりかけてあると無いとでは、ちゃんとした感が違うような気がします。
明日は、そろそろがっつりと肉にしようかなあ~と思う。

自分は食べることが好きなんだと、つくづく思います。
しかも、美味しいと思って食べていることが多いので、「食べる=幸せ」なのです。
かといって、料理人になろうとか飲食店で働こうとか思ったことはありませんが、
自分で作ったものがなんだかんだいって美味しいなと思うのです。
これは自慢でもなんでもなくて、本当に大したものは作っていないのですが・・・
野菜を切ったり、下ごしらえをしたり、味付けしたり、揚げてみたり、焼いてみたり、
料理をしていると、一番自分が欲しているものを自然と作っていっているように思うのです。
今日は煮るより炒めようとか、塩よりは味噌がいいかなとか、乱切りもいいけど今日は千切りにしようとか、
そういう一つ一つが、自分の直感みたいなもので動かされて料理ができあがっているような気がします。
そしてまた、その食材ってそんなに多く種類がなくてもいい。

そして、名もない料理ができて、
それがそのときの自分の体や家族の体にぴたっと合っていたりします。
たまに外すこともありますが(味が想像したのとちょっと違ったとか)、
そこも楽しく食べられ、楽しく食べるって美味しさと同様、大事なことですよね。

『一汁一菜でよいという提案』(土井善晴著 グラフィック社)を読んだことがある方も多いと思いますが、
「こういう美味しさが自分はとても好きなんだ」って、この本を読んで思いました。
これまで言葉にできそうでできなかった、食に関する自分の思いを、
土井善晴さんが代わりに伝えてくれたような気がして感動しました(達人に向かって言うのもなんですが)。
でも本当に、やってみるとわかります。
自分の体と心が欲しているものって、そんなに多くはないのだということが。
あれもこれもの何品も用意しなくても、
これ食べたい、これ食べたら元気になる、これ美味しい、というものはもっとピンポイントのもので、
食べ物の種類が少ない方が、よりそのもののエネルギーが行き渡るようになっているのかもしれませんね。

一汁二菜であれば(ご飯、味噌汁、おかず)、洗い物も少なくて夫が喜び(夫が担当することが多い)、
一汁三菜と余裕があったときは、これまたご馳走だなあっていう幸福感で満たされます。
じゃあ、一汁一菜は?というと、白いご飯がこれほど美味しく感じられる食べ方は無いように思います。
そして、野菜や豆腐や肉など味噌汁の具は主役になって、
普通にたくさんおかずを作ったときよりも、一つ一つが味わい深い美味しさとなるような気がします。
一人朝ご飯のときは、ほぼこれで満足。
量的に少し足りない分、お昼にものすごくお腹が空いて・・・
これまたお昼ご飯が美味しく食べられる!という、いい循環になっているようにも思います。

食べるのが好きな自分は、夕ご飯がどうしてもたくさん食べ過ぎてしまう傾向があります。
これから夏に向けてさらに食欲が増進しそうなので、また一汁二菜に戻していこうかな。

















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