通じない自分

先日友人と、
定年を過ぎてもういよいよ働かなくなったとしたら何をする?という話になりました。
友人は、今年の春で正社員からパート勤務にしてもらうとのことで、
時間に余裕ができるため、老後に向けて今から何か好きなことでもしていきたいなあ
と思っているようでした。
それなのに、
肝心なその好きなこと、やりたいことというのが、全然思い浮かばなかったそうで、
それはとてもマズいことだと思ったそうです。

定年後、第二の人生を、
好きなことをして過ごしたいと思っている方は多いと思います。
その『好きなこと』というのが、旅行とか趣味とか勉強とか、習い事とか、
これまで働いていては決してできなかった(中途半端だった)ことを、
まだまだ健康なうちに思いきりやりたい、そこは後悔したくないって思うのでしょう。
だから、その何をやるのか?というのは定年に差し掛かったときにすごく考えるそうです。
と他人事のように言っている自分も、この頃考えはじめています。

自分は将来、たとえば60歳を過ぎたときに、どうなっていたいのだろうかと想像してみました。
趣味はないし、旅行はしたいけれど毎日のことではないから一番ではない。
『好きなこと』というは、
たぶん『好きな仕事』のことなんじゃないかなと思いました(今の自分が思うのは)。
まずやりたいと思う仕事を限界までやっていたいなと思うのです。
逆に言うと、やりたくないことはさすがにその年になったら、やらない自分であってほしいです。
つまりは正直な仕事の仕方ができるようになっていたい、という感じなのかもしれません。

そして、年齢を重ねると、年の功で簡単に理解できるものもあれば、
もうその年齢では理解しようにもできないもの、というのがあるみたいです。
友人が言っていました。
話題についていけないとか、感性がついていかないとか、時代についていけないとか、
「ああ、なんか通じないなこの人」と思われることはあると。
通じない・・・って、
ちょっとショックかもしれないと思いました。
自分はわかっているつもり、できているつもり、通じているつもり、
と思っていても、若い人から見れば、まったく違う人間のように見えるのかも。

でも、自分にとって大切なことは、
もしも『通じない自分』になったとしても、
理解できなくても、通じない人と思われても、「私」は全然大丈夫・・・
と感じられているかどうか、です。
それがダメなことだと「私」は思っていない・・・
ということもちゃんと感じ取っているかどうかなのです。
周りから見た自分ではなくて、
自分が自分をそのまんま見て、いくつになっても頑張っているね~
と言えたらいいなあと思います。

























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