かわいそうな人

障害がある方が困っていると、ものすごく大変に違いないと思っていた自分がいました。
だって、ハンディがあるのだから。
ハンディのない自分が助けられることはあるだろうと・・・
障害がある方へとどうしても目が行ってしまうのです。
でも、ハンディは誰にでも、自分にだってあります。

身体的な障害はないけれど、一般的にみても身体の弱い部分ってある。
また、不得意なこと、嫌なことをするときのストレスならば、
多少にかかわらずいつだってある。
固定化されたハンディではないにせよ、
苦痛だと感じるものは、どっちが大きいとか小さいとか測ることができないものです。

だから、障害がある方でもない方でも、誰にでも何かしらのハンディはあって、
何かしら悩める人間であることには変りありません。

そう思えるようになってから、
障害がある方だから手助けしようとは思わなくなってきている感じがします。
かと言って、手助けしないと決めているわけではないし、
困っている人がいたら、気になって何かしてみるという行動はとるのだと思う。
でも、その時の感情として、
少なくても障害があるから「かわいそう」というのは、無くなってきたように思います。

つい最近まで、本当に失礼なことなんだと思わずに、
あーかわいそうだな・・・と無意識に口に出ることもありました。
それって、自分はその人よりもかわいそうではないと思っているから、そうなってしまうのかもしれません。
それは、自分がその人より上にいて、下を見て感じているということ。
同じ人間なのに、
悩みも苦しみもある人間なのに、対等ではなかったんですね。

不思議と、同じ人間なんだ・・・と思うようになってから、
その人の苦しみを見ても、自分がそれ以上に苦しくなることは無くなりました。
その人がつらそうにしていても、
自分がそのつらさを何とかしてあげたいと思う気持ちは、以前よりもずっと薄れています。
自分の中で障害のある方はもう「かわいそうな人」ではないからです。

そうやって(何だか薄情みたいだが)、
少しずつ、自分の心が軽い状態でいられると、
自然に身体が動いてやっていた(手助けしていた)ということはあります。
そういう時は、本当に気持ちが軽くて、
その人の人生をその人の責任のもとで頑張ってほしいなあと、
心から応援したい気持ちが形となって、行動しているのだと思います。







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