優しくありたい
先日、病院の待合室で、認知症なのかな?と思うような方がいて、
家族らしき付き添いの方に何かいろいろ言われながら診察券を出していました。
連休前とあって、患者さんが待合室に入りきれないほどいて、
あきらからにその付き添いの方がイライラしているのがわかりました。
誰だってこの混雑ようを見たら、それは分からなくはない。
けれど、その付き添いの方は、
おそらく自分の親か義理の親なのか?
そのおじいちゃんにずーっと何か言って怒っているのです。
ほら、早く早く、早くして!それじゃないでしょう~
〇〇だって、さっきも言ったでしょう!
〇〇を忘れてきたの?何やってんの、もう~~~
(しかも、結構大きな声で言っている)
横で聞いていて、胸が苦しくなりました。
何も、そんな言い方しなくても・・・
あきらかに、もうそういうことができないんだから。
そのおじいちゃんが、本当に気の毒でかわいそうだと思いました。
あんなに言われても怒鳴られても、
ただただ言われっぱなしで、うつむいて何も言い返しません。
もうそれが日常で、慣れているのか?
言ったら、言ったで、倍返しになるから黙っているのか?
お世話になっている身だからと、抵抗しないのか?
言われて当然だと、もうあきらめているのか?
それとも、そうなってしまう(怒りたくなる)相手の気持ちが、
理解できるからなのか・・・?
私だけでなく、座っている人たちもそのやり取りを見て、
何か言いたいけれどちょっと様子を見ているような雰囲気が待合室にありました。
この光景を見て、何も感じない人(パターンが騒がない人)って、
いないんじゃないでしょうか。
どこに何を感じるかはそれぞれだと思いますがー、
怒っている人が一人いるだけで、まわりに与える不快感は相当なものだなと思いました。
驚いたのはここからで、
そんなやり取りが、なんと一組ならず、
自分が病院内へいた時間で何組もあったことがびっくりでした。
(脳神経内科ということもあり、たぶん皆、認知症患者さんかなと思う)
そういう光景を見て気分が悪くなる自分の心を見ていくと、
お年寄りには優しくするべき、敬意を持つべき、もっと寄り添うべき、
弱い立場の人をそんなふうに接するべきではない等々のパターンが騒いでいるのだと思う。
そんなことがあっての翌日です。
母親から、〇〇を持ってきてほしいという電話がありました。
「わかった、明日持っていくからね、安心して」
という会話を3回。
4回目の電話では、「だから、持っていくってさっきも言ったじゃん!」
というやり取りでイライラ指数が上がり、
そして5回目の電話で、
私はあのときの付き添い家族の方と大して変わらないことをやっていました。
あのときの付き添いの方と何も変わらない、私も同じ人間だった。
ということがわかったと共に、
いつか必ず、そういう自分で四六時中いるのは嫌だ、
と思う日がその方にも来るのではないかと思いました。
そんな風な自分でいたくない、と思う気持ちが原動力となって、
それでも何度も何度もありたくない自分でいる経験を得て、
やっと、それでもどうありたいのか、自分?
という入口に立つのかもしれない・・・と。
自分の段階はまだまだなのですがー
そこを目指したい。
なぜならば、やっぱり、人に優しくありたいから・・・です。
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