自分のパイプの中で

もしも、
他人と比較することがなかったら、
どれだけ自分を客観的に冷静に見れるだろうか・・・
って思いました。

年を取れば、
見た目の美しさ、健康や体力、若さそのものを比べ、
自分はいけてるか、いけてないかを決めています。

仕事をすれば、
遂行する能力、信用度、協調性、リーダシップが取れるか取れないかなど、
いわゆるできる人かできない人かを、
他人を見て自分を位置づけしています。

結婚すればまた、どんな家に住んで車は何にのっているか、
子どもたちはどうか、夫婦仲はどうか等々、
そこに他人がうらやましく思う要素(世間一般的な価値)があるなしで、
幸せをはかっている。

そういうことを、
昔はよくやっていたし(ホントにここに居続けた自分!)、気になってしかたなかった自分がいました。
そうやって比べた結果の自分を、他人はどう思うだろうか?
とさらに考える。
二重の苦しみループに入っていたこともあります。

でも苦しさを感じるときは、
大体がパターンで物事を捉えているときでー
そういうときは、
誰が、何を比較して、苦しくなっているのかを見ればいいと、
すぐに見る先を変えることが「私」ならできます。

ここへすぐ戻ろうって思えるのは、
ひたすら自分だけを見ていく方法を少なからずも知っていて、
何とか習慣になっているから。
このことが、生きていく上ですごくありがたいことだし、
自分の生きる力、転んでも転んでもまた起き上がる力になっている。

昔の自分を思いだすと、
何とか今日まで生きてこれたこと、そのもの全てのことが、
自分は幸せだったんだなと・・・
本当に今、そう思います。

他人を自分のパイプに誘導しない。
そして、自分も他人のパイプに入り込まない。
そこは自分の築こうとしている世界ではないのだから、
苦しくなってあたり前なんですよねー

自分の幸せは、自分のパイプの中でしか築けないのだと思いました。

そして、他人を自分の思い通りにしようとする行為も、
すでに他人のパイプに入り込んでいるということ。
土足でずかずか入っていくようなもの。
だから、そもそもしてはいけなかったのだな。

そんなことを思った朝です。



GWの楽しみ…生活クラブ勢ぞろい!わーい!






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