真逆な経験をしていく

昔、私はよく、真面目だねーって言われることがあって、
そう言われるとあまりうれしくありませんでした。
なんだかつまらない人間、だと言われているような気がしていました。

中学の時に、時代が時代だったので、
周りにヤンキーっぽい人たちがたくさんいて、
何だかうらやましいなあと思ったことがあります。
自分も恰好だけちょっとだけ真似しようとするけれど、
全然、中身は変わらない。
ずっと、よい子または普通の子で来ていたんですね。

そう、どうしても無理があった・・・
ハメを外したり、規則も、どう思われるかも関係ない。
っていうのは、自分にとっては不自然なこと。

でも、他人から真面目な人だとは思われるのも、なんだか嫌でした(微妙な年ごろだ~)。
見た目も態度も生き生きと楽しそうにしている人たちを見ていると、
気が弱い自分にはないものを全部持っているかのようで・・・
自分に無いものを持っている、ということがうらやましさでもあり、
そういう自分を小さく見てしまう癖は、
いまだにあるように思います。

ヤンキーっぽいというのも一つの個性なんだと思いますが、
無いものをとにかく欲しがる自分・・・
自分を大きく見せたい、それがあれば良く見える、
といった目先の変化が欲しかったのかもしれません。
そういうところから、違う自分になってみたかったのか?

とにかくそういう、
真面目がゆえに、お利口さんがゆえに、優等生っぽさがあるがゆえに、
そうじゃないキャラになることができなかった(とパターンは思っていた)
という話なのですが、
どんなキャラでいたいのか?は、
その時自分は、どうありたいのか?
と同じなんだなと思いました(←これが言いたかったのよ)。

もちろん、見た目でのどうありたいか?というのもあるのかもしれませんが、
今は、そうではなく・・・

これまでの自分とは違う自分になっていきたいんです。
なぜならば、そこをやってきていないから!
どんな自分でもいい、どっちでもいい、のではなく、
そことは違うところにいる自分、という『真逆な経験』をしたいのです。

真面目といっても、昔と今とでは意味付けも変わっています。
頭できちきち考える、一般的なところで考える、
危ない橋を渡らない、社会の決まりみたいなものを守る、というような捉え方。
そうであれば、
きちきち考えすぎない、一般論で考えない、どんな橋でも渡ってみよう、こうだと決めつけないでやってみよう。
そして、理屈ではなく、自分の直感や本能に従おう!

これが、真面目だと言われてきた自分の真逆なあり方。
まだまだそういう経験を積んでいきたい、と思う今日このごろです。


シトロンさんのベーグルランチ うまい!












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