自分にとっての答えでいい
先日、夜中に吐きました(お食事中の方、すみません)。
普段滅多に吐かないので、自分でもびっくりしましたし、その苦しさはもう地獄・・・
まるで何か体の中に、得体の知れないものが憑依していたんじゃないかと思うほど、
これでもかというくらい吐きました(って、何度もすみません)。
あれから、なかなか体調が戻らず、
お腹に力が入らない感じがあるので、静かにそろりそろりと動きながら過ごしております。
今回のこの事態ですが、
この身を削ってみて感じたことがあります。
自分が欲していないもの、望んでいないものは、
もう本当に受け付けなくなっているのだということ。
ああ、自分は受け容れられない、あれはあきらかに違和感だった、と思うことがありました。
天の意思、神の意思、自分の意思は、
ちょっとのことでもごまかせないのです。
ごまかしていいものも、もちろんあるとは思いますが(意識的にそれをすれば)、
そうしてはいけないものに対しては、こんな風に全力で教えてくれるのか・・・
と思いました(食べ過ぎだけではなく!)。
本当は、何かすっきりしないものがありました。
あのとき嫌な感じがあったんだけど、それが何なのかがわからなかった。
そっちに進んでしまったからもう戻れないとか、
頭で考えて、これはいいことなのか?
無理に納得させようとしてはいないかとか、
なんか違う感じもしないでもないけど、答えがわからないからまあいいかとか、
そういうことがもう、自分のある一線を越えてくると知らせてくれるようになっているのかもしれません。
それはやめなさい・・・と。
自分でも違和感をちゃんと感じていれば、すぐに方向転換することはできます。
だけど、その違和感というものが、ものすごく巧みに人の情をかえしてやってくると、
自分の中にある根強いパターンたちは、感覚をすり替えようとしてくるのです。
こんなにあなたを応援してくれているのだからとか、
それは絶対にいいことでしょうとか、
それはあなたに必要なことなんだとか、
こちらの感覚を麻痺させるかのように、自分を洗脳させようとするのだと思いました。
洗脳は、それに気がつかないから洗脳でー。
あれ?ちょっと何か変かもしれない、しっくりこない、なんだこのもやもやした感じは?
と確かにもやもやを感じてはいるのですが、
それが何かはすぐにはわかりませんでした。
一方で、あまりに自分が知らないことが多くて、今まで経験していないから、備わっていなかったものだから戸惑っているだけだよと、
自分の感覚を疑ってしまうような何かに覆われてしまっていました。
これはパターンなのか、
それとも、新しい情報、新しい体験に戸惑っているだけのことなのか。
今思うと、その正体が何なのかをちゃんと見るべきだったと思いました。
正解不正解ではなく、自分にとって良い感覚かそうではない感覚なのか、
それ以外に答えはなかったのだと思います。
すべてが、自分にとっての(自分だけの)答えで良かったのです。
まだ食欲がありませんが、それで済んだことは、
ご先祖様や自分を助けてくれているものたちに、きっと守られていたんだと思います。
心の中をそれを取り込ませないようにした「私」の肉体も、ありがとう。
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