正しいというパターンについて

自分は正しいと思っている人は多いと思いますが、
自分がそう思っていることに気がついている人は、とても少ないのではないでしょうか。
自覚がない・・・というところです。

言われれば、気がつくのかもしれませんが、
そうそう面と向かって「自分のこと正しいと思っているでしょう」とは言えませんし、
もしも言えたとしたら、相手は自分を否定されたという感情が先立ち、
冷静に自分の思っていること、していることを「間違っているのかもしれない」とは思えないかもしれません。
この間違っているかもしれない、とは思えないということが、自分が正しいと思っている何よりの証拠です。

自分が正しいと思っているとき、心の内側では何が起こっているかというと、
まず大体が話を聴いていない、自分が話すことばかり考えている、相手は間違っていると思っている、
そして、相手に対してパターンが引っかかりまくっているのです。

全部そうだとは言いきれませんがー。
でも、おおかた人への言動にパターンが引っかかるとき、
自分の考えや行動の方が正しいと思うから、えーなんで?って引っかかるようです。
その人の考えも感情も受け容れられないと感じ、否定と拒否をしている状態です。

そういう時でも、相手の言っていることも一理あるなと思えることもあります。
自分には考えつかなかった話を聞いてしまうと、
自分よりも相手の方が正しいのかなと思うことはありますよね。
相手の方が優れているのかもしれないとか、自分の方が何か違っていたのだろうかと思ってしまいます。
ここで、素直に自分と相手との違いだけを認められたらいいのに、
相手を認めるどころか、自分は正しいというプライドは傷つき、
否定されたパターンはますますざわざわ落ち着かなくなってしまうこともあるのです。

一体いつから、正しいとか間違っているとか、判定するようになったのでしょう。
判定している意識はなくても、
やっていることは、自分が正しいから相手にも正しくあってほしい、なのです。
賛同してほしい、共感してほしい、自分がやっているようにやってほしい、
自分が思うことを認めてほしい、そして、自分が正しいということをわかってほしい!

正しさなど時代によっても違うし、
人それぞれのものだし、条件が変わればがらっと変わってしまうものだし、
とても曖昧なものなのに、
自分については、どうしてか正しくありたいって思う。
無意識だからこそ本当に不思議なものです。

正しいの他に、否定されたくないという気持ちは誰しも持っているものかもしれません。
だって、そっちが間違っているんだから~とか、
否定してこないでよ~とか、
やっぱり自分は正しいのだから謝ってよ~とか。
この戦いはどこまでも続く・・・
戦争はみんなこういうものが根底にあるのでしょう。

相手から、「自分が間違っていたよ」と言われたときにほっとする感覚は、
やはり自分の方が正しかったんだ、良かった、と思うからです。
正しいということは良いことっていうパターンがあるのかもしれません。













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