自分にとっての真理



同じ一日であるのに、同じ24時間であるのに、
時間の流れ方が少し変わってきていているように感じます。
何が今までと違うのかなと思うと、時間の使い方ということではなく、
自分の中に軸が一本立っているような感じが、いろいろなことに対して、
今までと違う感覚(違う展開)をもたらしているように思います。

その軸は、ガシッとした強くしっかりしたものではなく、
むしろ、しなやかでどこまでも曲がって、反り返って、でも元に戻れるような感じのものです。
そういうものが何か自分の中に一本通っていることを感じ、
この軸があれば、未熟な自分であってもいいんだと思えるような気がします。
そう、しっかりとした自信がついた、強い自分ではない・・・
ということを知ったような、わかってきたような、
それでいいからやってみよう!という感じです。

時間の使い方も自然と、
今を意識して、今話そう、今聞こう、今休もう、今やろう、
というように今を見ていることで、その先がすぐに繋がっていくように感じられます。
地に足をしっかりとつけながら、
でも意識は、青い空を見上げるように(今日はまた秋晴れの気持ちのいい青い空だった)、
どこまでも無限に広がっていく自分も感じられるような気がしました。

ゆったりと行こうと思えば、ゆったりとした流れを作りだし、
広く大きな目で見ていこうと思えば、小さなことが気にならなくなっていく。
自分が進んでいけば、物事もそんな自分の呼吸に合わせて進んでいく。
思っていること、そうなっていきたい、そうありたいと思うこと、それらがはっきりとイメージできると、
確かに自然に流れに乗れていくのかもしれません。

ちょっと抽象的な話になってしまいましたが・・・

やってみたいことを、制限しないとしたらどうなるか?
また、やってみたいことを今あるものでやってみるとどうなるか?
自分の考えが及ばないほどの可能性がそこにあり、
その時の感覚だけで動いていくことは、
決して現実的ではないとは言えず、
むしろ現実化していくもののように感じるこの頃でもあります。

とすると、今まで自分が思っていた現実って何だったんだろう。
現実に考えることも、何をもってそれが現実ということなのか。
固定観念のようなものを持つことが現実だと思っていたのかなあ。

見えないものを大事にしていきたいと思う自分は、
その見えないもの(思い、心、意識、精神、魂、宇宙、ご先祖様、神)から、
自分のいる世界を創り出していくのだろうと思います。
それら見えないものは、自分以外のものではなく、自分の内側にもしっかりと存在している。
それが「しなやかな軸」なのかもしれません。

これまでの経験とか、ネットや本の知識とか、誰かがやって実証されたこととか、
今自分が想像できるもの以外のところから生み出されるものは、
何だか面白そうだなあって思います。

この面白そうと思う感覚は、「私」にとっての真理といってもいいかもしれません。
皆さんには皆さんの真理があるように・・・誰にでもそれはあるのだと思います。








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