言い訳する、しない



宿題をしない子どもにお母さんが、もう宿題はやったの?と聞くと、
「あーもうー、今やろうと思ったのに~~~」
というやり取り、よくありますね。
そこで直ぐに勉強する子もいれば、
やる気が失せてしない子、あるいは言われなければやったのにといつまでもふてくされる子もいます。
まさに、大人になってもそんなことってあります。

今月からやろうと思っていたこと。
それを、いつになったらやるのか?(ちゃんと)やってください、と指摘され、
なんでこのタイミングで言うかなと、むっとしました。

こんなとき、
でもな・・・言われたことは事実だ、ということが頭をよぎります。
そこに相手の感情(思惑)を付け加えて受け取っているな自分、とも思います。

パターンのケアをしていくと、
言い訳を言って(ちゃんとやろうとしていたことを話す)、そして実行していくことと、
何も言わずに(つまり相手から、ちゃんとやろうとしなかった人間だと思われても)実行していくこと、
二つの選択肢にたどり着きます。
実行するには変りないのですが、そこに言い訳という名の説明を入れるかどうか。
指摘されたことは、まったくその通りだと認めてみる・・・
ああ、そっちの方がなんか軽くていい。
選択の結果、言い訳をしないでやるという行動をとります。

やってみると、指摘されたことにただ向き合うことが、自分を楽にしていくんだとわかります。
かえっていさぎよくそこに集中できた(かなりちゃんとやった)気がしました。
何だか自分がそこにはいないような・・・
いなくてもいいかもしれないという感覚もありました。
言い訳しないというのは(それが悪いわけではないが)、
非を認める、自分に気づく、ということなのでしょうか。

自分を主張させなくても、わかってもらわなくても、
それでも自分が保たれる、何とかなっていくという体験。
この感覚は覚えていきたいです。







コメント