答えがポーン


 
「できる自分を見ると嬉しいんですよね」
とある方が言ったことば。
これを聞いて、謙虚じゃないなとか、
よく自分のことを「できる」と思ったなとか、
または、とにかく嬉しいというのはいいことだとか、
そうそう、そうやって自信をつけていこうよ!
とさらに励ます人もいたり・・・本当に人の数だけ、感じるものは違うのだと思います。

わたしは、その方が本当にしみじみと、嬉しそうに言っていたので、
この人は、今嬉しいんだな、と思いました。

そして、少し経ってから、
そうか、できる自分を見ると、安心して、勇気が湧いてきて、
普段の自分じゃないような、ちょっと別の世界を垣間見たような、
そういう嬉しさだったのかなと想像しました。
その人自身が自分への『可能性』を感じた瞬間だったのかなと。
なんかそんな表情だったなあと思いました。

こうして、言葉って、いかようにも受け取れるし、
自分で膨らますことができます。
自分の心がそこに反映するので(パターンが反応)、
自分のその時の感想というのは、今の自分の状態を知る手がかりとなる。
そこに相手は出てこないのです。

良い方に受け取れたからいいとか、悪いとかいうものでもありません。
その感情の動機として、
例えば、●できない自分はいやだ、というパターンがあれば、
だからこそ、他人のそれがうらやましい。
もし自分にもそんなことが起きたら嬉しい!と直ぐにも想像できます(パターンが満たされるから)。
だから、あなたにとっては良かったね、私は嬉しくないけど・・・・
という反応が正直なところだったりします。

ここまで細かく自分を見るのもどうかと思われそうですが、
それだけ心は複雑。
その感情、そう思うには動機があると、さらに観察してみるのもいいです。

わたしの反応として、
そのまま(相手の言う言葉通り、手を加えず)受け取れたことが、
その時はフラットな状態だったと知れてよかったと思いました(これも、その時は、ですね)。

また、その後の『可能性』について思いをめぐらしたのは、
自分も可能性を広げていきたいという無意識の表れだったのかなと感じました。
自分は今、そんな状態なんだなあ(そんなところにいる)と。

以前は自分のことがよくわからないと思うことが多かった(今もないわけではないが)。
でも、こうして、他人の発するものから自分の心の状態を見れるというのは、
なんだか、ちょっと便利というか・・・
だから、自分を知りたければ人と関わるといいのでしょうね。

これでもかと、いろいろ頭で考え尽くさなくても、
目の前に答えがポーンと出たりします。


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