母の日と兄



母の日に、兄は毎年母へお花の贈り物を欠かしません。
何十年もの間忘れることなく、カーネーションをはじめいろいろなお花で楽しませてくれます。

わたしもたまには贈り物をしたいと思い、
サプライズで兄とのZOOMをセッティングしました。

記憶力があやしい母も、前回はたしか一年ほど前だったと思うのですが、
ZOOMのことをしっかり覚えていました。
テレビ電話みたいなやつ・・・と言ったらすぐに、ああ、あれね!とピンときたようです。

一緒に暮らすパートナーと、犬たち2匹も交えて小一時間ほどのおしゃべり。
そのあとは、いつものお蕎麦屋さんに行き、
そこでも母は「今日はお兄ちゃんたちと会えて楽しかったわ~」と何度も何度も言っていました。
喜んでもらえて、わたしも安堵。

わたしが小学生の時、父親の転勤と
兄の高校受験が重なり、兄は一人私たちと離れて生活することになりました。
あのときは、またすぐに一緒に暮らせると思っていたのですが、
そのまま、大学で関東に行ってしまい、
それ以来家族みんなで暮らすことはもうありませんでした。

自分よりは少なくとも一人でがんばって生きてきた時間というものがあり、
厳しかった父のことも考えると弱音もはけず、いろいろ大変だったのではないかと思ってしまいます。
兄が新幹線で上京する日、
わたしは本当にさみしく、悲しく、泣きたい気持ちをぐっと我慢し、
新幹線に乗る寸前まで笑ってふざけあっていたことを思い出します。
母はあのときどんな気持ちでいたでしょうか。
母が「お兄ちゃん」と呼ぶとき、
母にとって兄はいまだ、15歳の少年のままなんじゃないかと思うときがあります。

『笑いのツボ』っていうのでしょうか、そこが兄妹とても似ています。
外出先でツボに入ったもんなら、二人で笑いが止まらなくて大変でした。
生真面目な一方で、物事を深刻にはせず、笑いに変換してしまうところが大好きです。
自分が、決して笑えないような場面でも、なぜか力が抜けてしまうのは兄に似てしまったからで、
笑いを堪えきれないという変な癖のおかげで、もしかしたら助けられてきた部分があるかもと思いました。

母の日の話を書こうと思いながら、
兄の話になってしまった・・・。


コメント