似ていて非なるもの


『自分がなりたい姿』と『自分の目指す在り方』は、似ていて違うのだと思いました。
一般的には、少し先の未来を考えるとき、
なりたい姿を常に頭に思い描き、それにあったものを身につけ、学び、行動をとっていきないと言われます。
周囲からも見てわかるような姿、暮らしぶりだったりします。
それはそれでいいのだと思います。

でも、どういう在り方でいたいのかというのは、
まったく目には見えない世界、自分の内側の世界での話のような気がします。
自分がそう在りたいと気づくことからはじまり、気づいた瞬間からそれを大事に熟成させていくようなイメージです。

今、自分がなりたい姿をざっくり思うとすれば、
ある程度の健康があって、暮らしにゆとりがあって、
仕事は順調で、周囲からの信頼もある。
そういう人物像が浮かびます。

もっと詳細にいろいろ時間をかけて考えていくと、
もっとこうでああでと、他人からの見え方までも出てきそう。
完璧なまでに理想を思い描きたくなってしまいます。
でも、そんな姿を思い描くほどに、
そこから外れてしまった自分を見ることは、恐ろしく怖い・・・。
なりたい姿を強く細かく想像すればするほど、なってはいけない姿への抵抗も大きくなっていくのです。
(これ、『自分』と言っているのは自分ではなくて『パターン』だからです)

では、自分の目指す在り方を考えるとどうなるのか。
もしも思うように体が動かなくなったら、
自分のできるところでがんばって生活していこうとする自分でありたい。
お金がない暮らしをすることになっても、
身近なものに美しさを見出し、日々を楽しめる自分でありたい。
仕事がうまくいかなくなったとしても、試行錯誤を重ねながら、世間の目や常識に捉われず、
好きなことをただただ真摯にやっている自分でありたい。

そして、どんな人間関係があっても、
他人のせいにしない、自分のせいにもしない、自分の内をひたすら見ていける人でありたい・・・
たとえ、そうできないことがあっても、そんな自分をゆるしながら、
自己観察を続けている自分でありたい。

そう思っている『自分』とは、本当の「私」なのだと思います。
だから、そんな在り方を望むのだと思いました。

でも、ちょっと油断すると、すぐにパターンの理想を追いかけてしまおうとしている自分がいます。
そのときは、また立ち止まって・・・
また、深く深く心の奥で感じているものは何なのか観察し、思い出していきたいです。

『姿』であるか、『在り方』であるか。
この違いは天と地ほど、月とスッポンのくらい大きい。
誰がそうなることを望んでいるのか?という視点が必要なのだと思います。







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