安心と不安

先日、知人がサプリメントがやめられないと言っていました。
どうして飲んでいるかといえば、飲むとなんだかとても安心するそうです。


安心できるのなら、それはその方に合っている、良いものなんだと思います。
ただ、続けてみて良かったというものには次の段階として、
じゃあ、それを飲まないとどうなるの?
もうそれが無いと私だめなんだろうか、という壁にぶつかってしまうこともあります。


自分も体調不良のときに、サプリメントに助けられたことがあったので、
これさえ飲んでいれば大丈夫という安心感に包まれる感覚は、よくわかります。
これをしていれば大丈夫、というものって人それぞれ何かしらあるかもしれません。






今の自分にとっての安心は何だろう。
これは「もの」ではなかなか思いあたらないのですが・・・


やはり、自分自身をじっくりみていくということが、
なんだかんだ言って自分を一番安らかに穏やかに、安心させることにつながっているのかもしれないなー
と思いました(やっぱりここにたどり着く)。


安心と不安は、真逆な意味を持つもののはずですが、
この違いが昔のようにはっきりと分かれたもの、差があるもの、いいこと悪いこと、幸せと不幸せ、
という感じではなくなってきたように感じます。
安心と不安というつながっている一つの輪を、実はぐるぐる回っているだけの感じもあります。


もちろん不安でいるよりは安心できた方がいいのだけれど、安心ばかり求めていくと、
安心したいはずなのに、その安心を失うことに大きな不安を感じ、
その不安が無い状態を保とうと意識していくように思うのです。
だから不安になっていないかという自分を意識することで、
心は緊張し警戒しかえって休まることがない状態だったりします。


ほっとした~という感覚は、不安だったからこそ味わえる感覚でもあるから、
いつも不安がある人は、何か自分をほっとさせてくれることはないかと、
日常の中にいつも求めたくなってしまう・・・ということはあるのかもしれません。








そうなってくると・・・
安心でも不安でも、もうどちらでも、今ある「それ」と共にいられるようになったら、
これはもう一番楽なことなのだと思います。
そこに至るまでの自分のケアとして、自分自身をみる・・・ということなのだ。


不安でたまらないとき、不安を感じているパターン(自分自身)を観察します。
じーっと包みこむように見つめられたパターンはそれだけでも緊張がほぐれ、少し落ち着きがでてきます。













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