記録の中のパターン

先日、仕事で過去の記録を取り出すことがありました。
自分がどんなことを書いていたのかさかのぼって読んでみると、
気づいたことがありました。

自分で書いたものは、自分が感じた内容になっているということ。
あたり前なんだけどー
でもそれがちょっとあんまりな文章で笑えてしまいました。

事実を時系列に簡潔にわかりやすく記録する。
それはわかっていたつもりでしたが、
自分が書いたものって、後から読むと何だか視点がずれているようなものもあったり、
結構余計な情報が多いんじゃないかと思うものもありました。

事実も確かに書かれてはいますが、
そこに互いの感情の記録が必ず書かれてあり、
これは自分が物事のどこに注目してしまいがちなのか、ということが記録を読んでいくとよくわかります。
自分の中で感じるだけに終わらず、書き留めてしまう・・・
というのは~、
書かずにはいられない、自分のパターンがこの時あったんだなと思いました。

例えば、こういう発言やこういう表情、この後のこれこれこういう言動などから、
「このように○○さんは感じていた様子」というようなことが書かれてあるものがありました。
コミュニケーションが苦手な方もいるので、
気持ちを聞いて、的確に表現できるかといえばそうではない場合もあり、
あくまでこれまで自分が見聞きしてきたことをふまえて、今の印象、ということになります。
相手に対しての印象も同じように、細かいしぐさなど描写している箇所もありました。
どうしても自分の目がいって仕方ない・・・という自分のこだわりポイントがあるんだなあ。

記録一つで、
自分がどこの部分に注目していて、どこの部分がさほど重要ではないと思っているかがわかります。
誰が書くかによって、事実は一つであるかのように思いますが、
自分が感じる事実と他の人が見ている事実は違うことがあります。
いろんな捉え方があるので、いろんな人が読む記録ってむずかしいです。

出てきたパターンを都度、ケアできていたとしたら、
もう少したんたんとした内容になるような気がするし、
感情のところを書くというのは、自分のパターンの視点になって書いているため、
気をつけていかなければと思いました。

このとき自分はこんなパターンを持っていたから、こう感じたんだなと、
まさか仕事上の記録をみて、自分のパターンの歴史を読むことになるとは・・・
今の自分だったら、こんな書き方にはならなかっただろうなと思う箇所もありました。
自分のパターンも顔を出すものと出さないものと、いろいろ変化しているからです。

何をしても、自分が(パターンも、そして「私」も)表れてしまうんだなあと思いました。










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