白の感覚いろいろ

自分ではないもの『パターン』が理想を語っていたんだ、ということを知ってからは、
『自分』という言葉の意味も一般的に使うそれとは別なものに変わっていきました。
自分の理想は?
なりたい自分は?
などと考えるときに、一般的に使っている『自分』ではなく、
本当の「私」が自分であるというところで考えます。

パターンが言っている理想は、本当の自分「私」ではないところでの話です。
ですから、パターンの理想が叶ったとしても、
本当の意味では、心が軽くなることも晴れることもないので(一時的には満たされるけれど)、
いつまでたっても見る世界は変化せず、これが(今パターンで見ているものが)現実か・・・
と思ってしまっている方は多いと思うのです。

この晴れることがない気持ちの悪さを、
思考という便利な機能を使って、根拠を見つけて納得させていくこともできます。
でも、思考はパターンですので、自分の中に嘘があることに気づいてしまうのだと思います。
そこが気持ちの悪さがぬぐえないところなんだと思う。

白の気持ちのよい感覚というものは、
人によっては感じ方もその表現も違うと思うので、初めはわかりにくいかもしれません。

自分がパターンの存在を知った後も、
なかなか白を選べなかったとき(いろいろその為のワークはありますが)、
こんな感じでいいのだろうか?と思ったことがありました。
やっていく中で、この白はわかりやすいかも、と思ったものを思い出すと、
「もう期待をしなくてもいいのかもしれない」という白を選んだときのことです。

思考100%人間だった自分が、そうじゃなくなっていく過程として、
もしも「期待をしない」とどうなるかを想像しました。
期待を持たないということは楽しみや喜び、希望を持たないということではないです。
一見、ポジティブなことの中にも、パターンがやっていることはあって、
でもそうならなくてもいいのかもしれない、
そうならなくても平気でいられたらきっと心は軽いだろう!と思えたのだと思います。

期待しない、願わない、そうなっていく自分を想像するだけで、肩の力が抜けるような、
そこのこだわりから解放されるような、本当の安心感が得られたような気がしました。
だから自然と、考え方としてだけではなく、
そのほっとする感覚はまさしく白なんだな~と実感しやすかったのを覚えています。

白というのは、うれしい、心躍るような、わくわくした高揚感とはちょっと違って、
もっと静かにやさしい風が吹くような、解放的ですがすがしくて落ち着きがあるものが白です。
こういう白の感覚を味わえないことがダメだということではなく、
いろいろな白の感覚を身につけるということはとても大事なんだと思います。

本当の「私」としては黒白どっちもありですので、
今は黒のままがいいかな・・・というのもあり、ということも忘れてはならないです。

そしてもう一つ、勘違いしやすいこととして、
期待しないという白を選ぶ理由が、感覚ではなく、
後から落胆したくないとか、その方が傷つかないからとか、
そういう理由の元に選ぶと(これは思考100%になっている)、
何かを恐れるパターンが白を選択していることになります。
これは「私」が選んでいるとは言えませんので、そこはまだ黒でいたい自分がいるという現実のままでいいのだと思います。

学んでいく過程で時々過去にしたことを思い出すということは、
自分が今どのくらい理解しているか、これもまた必要なものであるために掘り起こされるのかなと思いました。
今、語りかけをしているパターンがあるのですが、このことが何かヒントとなっているような気がします。

白を作るときも動機を丁寧に観察していきたいです。















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