今にある

12月に入り、去年の今頃はどうだったかな?とふと思いました。
いつ雪が降ったのか、寒さがどうで何を着ていたのか、体調はどうだったのかなとか、
仕事は確か年末に向けて大変なことがあったはずだったけど、結局どんなふうに自分が過ごしていたのか・・・
何かとっても一生懸命だったことだけはわかるのですが、
もう随分昔に起きたことのように感じて、思い出せないことの方が圧倒的に多いなあと思いました。

『今にある』という生き方が、
ちょっと前まではそうありたいと思ってもなかなかできなかったように思うのです。
いつも過去のデータの範囲で、できるできないを判断し、
未来を想像しては不安で動けなくて、まだ起きてもいないことを心配していた・・・。
それが、最近はむしろ今しかないくらい、今やることで一日が終わるような気がします。
今日やろうと思っていること、今日電話しようと思っていること、今日はこれ食べよう、
今日はあの人にこの話をしよう、今日はこの本を読もう・・・
というように今という時間だけのことを考えるより、感じ取って動いている気がしています。

それと伴って、年々記憶力も低下していることを実感しています。
大事なこととか、興味のあることとか、必要なこと以外は本当に驚くほど抜けていって、覚えていられない・・・。
でも、その抜けたスペースに今見ているものが入っている感じもあり。
こんなに抜けて、忘れてしまって大丈夫かなと思うところもありますが、
それがないとまた自分が新しいものを入れられなくなっていることも感じるのです。

先日、母親が「若いときのようにいろんなことを考えられなくなったのよね」
といっていたことを思い出しました。
それは、年を取ってよくない意味で言っていたと思うのですが、
そうやって、考えることが少なくなっていくって、
そのときどきの感情(たのしい、うれしい、さみしい、かなしい)を大切にして生きていくことのように見えました。
それって、自分をどんどん楽にしていくっていうことでしょうか。
自分の身の周りの世界(考えなくなっている分だけ)がどんどん縮小されていくようなイメージもあります。

世界が小さくなるというより、しぼられてくるような感じもあって、
それは、見えるものが狭くなっていくということではないと思うし、
見なくてもいいもの(関わらなくていいこと)への区別がついてくるような気がします。
その関わるものが小さくなっていくことで、
よりその中の一つ一つの関わりの中身が、質が、深く鮮明に自分に吸収され、
「私」の本来望むところへたどり着くために必要な血肉になっていくような感じがあります。

またこの感覚も変わっていくのでしょうが・・・
今日は今日のことをやれる自分で当分はいいのかなあと思いました。











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