ただ付き合うこと

ちょっと前に書きました、私の推しの話の続きになります。
あらためて現代思想をまた読み返しているのですが・・・

社会的営みが「社交」人との付き合いから生じているという話ですが、
ここで、「長期的でゆるい付き合い」という表現が出てきて、
昨日のクラスの勉強会(仲間)というのがまさしくソレなのではないかと思いました。

学んでいる内容が内容なだけに、
どんだけ深い付き合いがあるかといえば〜、そうでもなく・・・
仲間とはもう15年あまり続く関係ではあっても、
どこか自分は自分というスタンスがあり、
毎月1回程度顔を合わすだけのゆるい付き合い。

でも長さだけは結構な年月続いている。
ちょっと元気がないとか、こういうパターンに引っかかっているのではないかとか、
そういう少しダークな部分があったり感情の波があったりしても、
何となくその気持ちわかるよ~的な関係に、心的にわかるようになってきたという感じです。

それもはじめは全く理解できなかった浅い関係の他人が、
少しづつ、心と心でわかりかけてきている。ということは、
関わりのゆるさがなければ、根気よく続けて付き合ってこれなかった。
ってことかもしれません。

そして、「異業種のアウェーで磨かれるもの」というのを再度考えてみたら、
自分にとっては、職場なのではないかと思った。
社外に一歩出ればいろんな企業の人と付き合うし、
社内であっても、何に重きを置いているのか、
何を目指しているのかというところでは見ている世界の違いがあります。
そういう意味では働くことがすでに自分にとってアウェーの場。

ただ会社へ行くだけでも、それは自分のある意味平凡さや至らなさや、
狭い心(パターン)を見つけられるというのは本当にそうです。
自分自身の鍛錬がここでまかなえる。
だからこの頃は、会社員でいて多種多様な人たちとお付き合いがあるというのは、
とても恵まれているってことなんだなと思うのでした。

魂を磨こうと思うなら、
自分と異なる人間と長期的にゆるいお付き合いしていきたいです。




本、また買ってしまった〜







コメント