似ている体験
先日、精神保健福祉士の実習生が職場に2週間ほど来ていました。
普段、大学生と話しをする機会などそうそうないので、
今どきの若い人の感覚にふれるのが、
とても新鮮で毎日がたのしいものでした。
はつらつとした明るい表情、学ぶ意欲、
自分の言葉で伝える力、どんな仕事もまじめに取り組む姿勢。
これって、若いから・・・というわけではなく、
その人の個性なんだなと思いました。
自分の視点とはちがったところから見えるものを、
彼女は素直に教えてくれるので、
自分がどんな面談をしているのか知れたことがよかったと思いました。
ふだんの自分を、ビデオに撮って見てみたいです。
話し方、表情、どんな反応をして、どんな癖があるのか。
なぞの動きをしているんだろうな・・・
さぞかし、爆笑だと思います。
自分が面談しているときの様子を彼女のレポートで読んだとき、
へえ~そうなんだ~と、
自分の姿を、少し離れた高いところから観察するような気分になりました。
この、少し離れた高いところから・・・というのは、
昔、自分が体験したことに似ています。
20代に入院していたころ、一度だけ病室でベットで寝ている自分を自分が見ている。
不思議な体験がありました。
よくいう幽体離脱のようなものなのか、夢だったのかわかりませんが、
この話は、なんとなく簡単に人に言ってはいけないような気がして。
(でも、だれかには言ったかも)
あれは何だったんだろうと思います。
今、そのときの情景が思い出されました。
あのときは、寝ている自分を見ているというよりは、
自分を取り巻くDRや、看護師さん、
そして、空気清浄機の音とベットサイドの機械音、
ベットの周りにビニールのカーテンが取り付けられていて、
そのカーテンが人が動くたびにぐにゃっとした音をたてる(治療にじゃまだったと思う)。
そういう起きていることをただ見ている。
それだけだったなあと思い出しました。
もしかしたら、
現実世界でも、そんなふうにただ物事が起きているだけなんだと思います。
自分の心の中には、いくつものパターンがあるから、
そこにその出来事の何かがパターンにひっかかり、
感情的になったり、思考に走ったり、
右往左往しているだけなんだろうなあ・・・と。
本当に、ただそれだけ。
でも、感情を騒がせるいろいろなパターンがあるからこそ、
生きているって実感するんだと思う。
そう思うと、パターンってやはり、あっていいものなんだと思いました。
これがないと、むしろつまらない・・・人間ではなくなってしまいますね。
自分を客観的に眺めているのは、本当の「私」です。
少し離れた高いところから自分を見ていたように、
パターンとはちょっと離れたところから、
じーーーっと、自分のいろんな行動を見ているんですね。
いつも、いつも、です。
毎日「私」に見守られているパターンたち。
今日も爆笑の一日になるかな。
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