どう感じているか、の練習

盛岡城跡公園となりの桜山神社




無意識ですが、
普段、いかに他人の反応をあてにしていたんだろうって思います。

あまり反応がないことが続いてみて、それを実感しました。
何か言ってほしいとか、反応してほしいとか、
こんなに周囲はどう思っているのかが、気になっている自分がいたんだと知ります。

それで今、八幡様のお祭りがはじまっているのですが、
祭り好きの私は、市内をねり歩く山車が近づいてくると、
もう居ても立っても居られなくなり、
山車を探しに行きたくなるんです。
そばで話していた人をほっといて、外に飛び出し、
山車だけを追いかけ、見れてよかった~と満足して帰ってくる。
(後から、ほったらかしにしたことを謝る)

そういうときの自分って、
誰にどう思われるかなど、
まったくなんにも思わないでやっています。
周囲のことが目に入らないし、
何か言われたとしても、
あんまり気にかけないと思う。

それだけ、自分のしたいことに夢中。

他人の反応を気にしているというのは、
そこに、自分を主としたものが、
いまいち薄れている状態なのではないかと思いました。
自分の意思だけでいる、やっている、そういうものではないと感じます。

自分の意思だけではないというのは、
やらなければならないとか、やった方がいいだろうとか、
やるならこんな風でありたいとか、
パターンが顔を出していますね。
細々とした条件がついているんだと思います(これも無意識に)。

また、他人の反応を参考に、より良いものにしたいとか、
もっと何か模索していきたいとか、
そういう気持ちもあり、反応を知りたいということも確かにあります。

ただ、今自分が感じているのは、
そういうものとは違う感じがする・・・

もっと自分自身が感じることを中心にしてみたいと思いました。
自分自身の違和感、またはおもしろさをもっと大事にしたい。

わくわくすることならば、
周囲の反応が気にならないのはあたりまえ。
でもそういうことばかりではない日常で、
自分は今、どう感じているのか?というところに常にいたいのです。

反応を気にする自分(パターン)を主とするのか、
「私」が感じたことを主としてやっていきたいのか。
あらためて、
反応があるときもないときも、自分はどうか?と感じる練習が必要だなあと思いました。





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