そんなあなたでこれからもいいですか?



前回のつづき~

やりたくないと思う仕事をどうするか?
こういうのに興味ないし、考えも浮かばないし、もうやる気が出ないんだよな~
と思ってはいるけれど、
お金のため、家族を養うため、生きるためにはしかたない。
って思いながら働いている人はたくさんいると思います。

でも、それだけではあまりに苦しいので、
そういうことは考えずに(感じないように)やっているとか、
仕事ってそういうものだ(自分がやりたいことだけできるわけではないし、むしろ逆)
と思って、割り切ってやっていくこともできます。

でも、むりくりの割り切りは長続きしませんので、
やはりそこは、割り切ってやろうというのではない考え方もできます。

自分に与えられた役割をはたそう、
今日はこの人のために(この業務を成しえるために)やろう。
って、なにかしら意識的に自分への課題や目標を立て、
それをやると決めてやっていく。
こういう仕事の仕方をしている人もいると思います。

だけど・・・
これでもまだ、時折ため息がでてしまう日もあるのです(←自分のこと)。
今日は、こうしよう。
昨日はこうだったけど、今日はここを意識的にやっていこう。
そうやって毎日具体的にやってはいるけれど、
そもそも本来の「私」の軸ってどこにあるんだろう・・・ということ。

自分がやりたいと思うことだけやれるという仕事はない。
たしかにそう。
やりたいと思う仕事にだって、思い通りにいくことなどないのですから、
それは頭ではわかるし、ケアをしていけばいいとも思う。

では、
自分がやりたいと思う『こと(仕事内容)』は選べないけれど、
自分がやりたいと思う『自分のあり方』だったら?どうなんだ。

そこなら・・・
そうです、自分の好きなように、あり方ならば選べるのですね。
自分の軸は自分で立てられるのです。

どんな仕事であっても、選べるのは、自分のあり方だけ。
(だからその話はもう、何回も先生から教わってはいるんだが)

毎日宣言していた目標も、意識していた課題も、
すべてがそこに通じるためのものでした。
今、本当にそこをくどいくらい考えています。
相手も変えられない、仕事も変えられない、環境もなにもかも。
やらなければならないことが決まっている・・・となったら、
結局、そこしか自分が変えられるもの、変われるところはないのですね。

その言動は、本当に「私」がしたい言動であるのか?
自分が悪く思われないように、
後から自分が責められないように、
もっと評価をもらえるように・・・そんなあなたでこれからもいいですか?

なんであの人はこうなんだ、
なんでそんなこと言われなきゃならないんだ、
私は本当はね、本当はこうしたかったのに・・・
それを思い続けて、あなたはどうなりたいのですか?

しつこく、あきらめず、
忘れていたらまた何度でも問い続けてみたいと思いました。

少しずつですが、
あり方を意識しはじめると、自分が楽になっていくのがわかります。
ゆっくりとした流れに変わり、自分も周りも以前より見えてくるような気がしました。

こういう、いい感覚をちょっとずつしみこませながら、進んでいきたいです。






コメント