それって、まぼろし
昨日のつづきです。
●(自分は)必要とされていない
と思っているパターンの言い分はこんな感じです。
だって、自分の考えが通らないし、共感されないし、
むしろ反対のことを言われるし、全然自分を頼ってくれない。
自分はいてもいなくてもいいんだ。
・・・と、パターンは言っています。
さらに、
必要とされていないというのは、価値のないこと、
人としてだめだということだと、パターンは思っています。
だけど、必要とするかしないかは、
自分ではなく相手が決めること。
厳密にいえば、相手の中にあるパターンが判断していることです。
『相手のパターン』対『自分のパターン』
という構図なのです。
一生懸命主張をして、でも誰からも共感されなくって、煙たがれて。
それでもまだ、自分が何かの役に立つのではないかと、
相手からの信頼、賞賛、評価を求めている・・・
自分がそんなパターンに翻弄されていると、
たまたま自分と似たようなパターンをもっている人と、引き寄せられるかのように出会うんですね。
その人を見て、
ものすごく、なんとも表現しがたい、
独りよがりの滑稽な感じだと思いました。
なんでこんなに無駄な抵抗をしているんだ?って。
私もおんなじなんだ。
「必要とされる」ということに執着し、相手に求め続け、
それでもまだ気づかずもがいている。
無いものを必死で追いかけているような感じです。
ま・ぼ・ろ・し〜〜〜なのに!
以前、自分のことを、
●わかってもらいたい、と思っていたとき(今もあるが)、
「わかってもらう」というのは、本来ないことなんだと、
それは違うんだと知って、衝撃を受けたことがありました。
ですが、衝撃とともに静かな『納得』がありました。
●必要とされていない
というのも、同じ仲間かもしれません。
そうやって他人に何とかしてもらおうというのは、本来ない。
存在しえない、違うことなのかもしれない。
そして、すべての悩みの根源である、
●思い通りにしたい
というパターンがそうなんだと思います。
これが最もありえない、まぼろし。
この世の法則と逆行している考え方です。
ただ、深いところでは、
結果すべてが、どんな生き方であっても、
思い通りに生きていたということにはなるのでしょうが・・・
こんなふうに、
そもそも、「それってないからね!」
という事象について、抵抗しているというのは、
苦しさ以外の何ものでもないのでした。
つづく
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