こだわらなくてもいいのかもしれない




〇もうそこにこだわらなくてもいいのかもしれない

という白パターンは、
あらゆる黒パターンに対して使うことができます。
自分の中には、
白と黒の両方があるため、
~が嫌い、~すべき、~してほしい、~になりたい
といったパターン全部が、
そう思うこだわりから自由になることができる。
そのように心の中はなっているようです。

パターンというのは決めつけや思い込み、
そして願望もそうです。
もしも、願ったものが叶わなかったら、
そんなのやだ、寂しい!って思うのは、
本当の「私」ではなく「パターン」が寂しがっている。
「私」と「パターン」は別人なのだ。
これが分かった時、
本来の自分「私」という存在は、
なんて広〜い世界にいるんだろう!と思いました。

ただいきなりは、その世界にいけないため、
「もうそこにこだわらなくてもいいのかもしれない」の、
「・・・かもしれない」という言葉を使いながら近づいていくという感じなのです。

断定的ではなく、強制的ではなく、
もしかしたらそうなのかなあっていう、
黒から少しづつ白に移り変わっていくような。
まだ、黒パターンの存在を感じながらも、
白パターンに片足を突っ込んでいるような、
このぼんやりとした、まだ曖昧な感じがいいのだと思います。

がんとしてこだわっていても、
どこかそのこだわりが薄れてきている自分。
または、こだわることに疲れてきた自分。
だから、もう今までのようなこだわりの世界にいなくても、自分は大丈夫かもしれない。
また、そんな自分になってきているんだ、と。
黒を使いすぎているから、これからはちょっとグレーや白も使ってみるか。
っていう、バランスを取っていくことに似ています。

白黒はっきりつける。
という考え方は、その方が迷わなくていいし、
何かを決めるときは、便利だったりします。
スパッとしたすっきり感もありますしね。

でも、
生きていると、白黒はっきりしないことの方が断然多い。
そしてはっきりしないことの方がむしろ、
先の展望があって、奥深さがあって、柔軟さがあるように思います。
まるで宇宙に自分が漂っているかのように、
答えは、星の数ほど選べるのだと思います。

どんな状況にあっても、
何にもしばられず、選択肢が広がる世界。
今日も「こだわらなくてもいいのかもしれない」を感じて、
心を軽くしていきたいです!







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