パイプの詰まり



HPの編集をしていたら、非公開のままで数日が過ぎていました(まだ、ちょこちょこいじっていますが)。
HPよりブログを見てくださっていた方からご連絡いただき、本当に助かりました。
せっかく訪問くださったのに申し訳ありませんでした。
そして、教えてくださりありがとうございます。
またよろしければ、お付き合いのほどよろしくお願い致します。

さて、「大元からつながっている自分へのパイプ」の話を、
今年に入ってからカウンセリングの先生から度々教えてもらっています。
そのパイプというのは、自分だけのものです(一人一パイプ)。
大元(おおもと)というのは、
物事の起源、原点、そこからはじまるものという意味ですが、
イメージとしては、森羅万象の起源、そこからはじまり先祖代々自分へとつながってきているもの、
また、自分の原点、魂の深化を続けてきたものの原点、そして、神そのもの・・・といった感じのものです。

そこへつながっている大事な大事な目には見えないパイプを、つまらせてはいかん!
というのはわかるのですが、
詰まるっていうことがどういうことなのか、よくわかっていなかったんだなと思いました。

最もわかりやすい例でいうと、
他者を自分の人生に介在させない、ということなのですが、
介在させるというのは、自分と誰かしらの他者がいつもいて、それは物理的なことではなく、
何をするにも寝ても覚めても頭の中にも心の中にも、
むしろ自分の存在と同じくらい中心にどーんと座っている、ということかもしれません。
これは四六時中、他者を意識しているということです。

これがなぜ良くないことなのか。
まずは、言わずもがな、自分がとても疲れます(心も体も)。
そして自分の人生を生きているとは言えないのも実感としてあると思う。
だけど、他者と関係性が切れる、他者のことを考えない、関わらない、ということではない。
毎日誰かしらと話しをしたり、接触があるかぎり、考えないわけにはいかないのです。
そこが、どうしたらパイプを詰まらせないように関われるのか?というところになってくるですが・・・

つづく

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