見えないもの



今朝は、母から自分のパターンが暴れそうになる電話をもらい、
でも、暴れそうになっている自分のことが同時によく見えた気もしました。

自分の人生がこんなふうだったように、
母にも予定していたことと違った人生がある。
魂としては、ここを今生で学ぼうと思い、そこから逸れないようにと、
道から逸れるたびに、新しい試練を起こしては、深く自分の中に道を見出す光を差し込みます。

その一筋の光を感じられるまで、
見えない見えないと思って探しているのですが、
見つけたときはもうすでに一筋の光は、別なものに変わっているのです。
もうすっかり明るい世界に自分がいたことに気づかされる・・・ということがあります。

この大きな違いは何?
見えない世界と、急に見えはじめる世界。
苦しさから逃れようとするほどに見えず、
もう、これでいい、と思った瞬間に変わる世界。
隣り合わせにある。

心と身体と魂を守り導いている、目には見えないものの存在があるのならば、
母にもそういう方々が必ずついているはず。
母と話ができなくなっていく中で、
今日は目の前にいる悲しそうな母ではなく、そういうものたちに話しかけてみよう。
きっと、母のことを守ってくれているはずだから、
母の人生がちゃんと果たせますように・・・と思いました。

この世では、一般的には、また、パターンが思うには、
それは不幸なこと、つらいこと、悲しいことであったとしても、
魂レベル、宇宙レベルでは決してそうではない、ということを信じている「私」がいます。

母の魂がしたいと思っていることのじゃまをしないように。
また、自分に向けられる言葉や目に見えるものに惑わされないように。
そこにどんな自分がいたのかちゃんと見ていこう。




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