言葉のリンク
今週末、精神保健福祉士に関する研修での出来事。
基本的にじーっと座って講義を聞く、というのが自分は苦手なのですがー
たくさんの言葉に頭がぼーっとし、長時間大人しくしていることについに限界がきそうになってきた時、
講師の先生のある問いかけに背筋がスッと反応しました。
(PSWの倫理観みたいな話だった)
「自己覚知をおろそかにしていませんか?」
じこかくち・・・
普段ほとんど聞くことがないこの言葉。
他人を支援しようとする前に、自己理解、自己認識、
自己観察のうえで自分を知っていくということをおろそかにしてはいけない、
というような意味なのだと思います。
自分はどんな時に感情がゆれ動くのか、そこからの観察なんだと言っておりました。
さらに、
『専門職としての自己覚知』と『個人的な自己覚知』の二つが存在しているのだそうです。
職業的な倫理観を持つ自分を理解するというのは、何となくわかるような気がしますが・・・
問題は後者の方です。
個人(的)と言ってしまうと、これはもうかなり重要なことです。
核心にふれた話です。
先生~すごいこと言っていますよーーー!
ここの『自己』という部分に、実はパターンが隠れていることを知ることができたら・・・
もっとすごい話になるなあと思って聞いてました。
ゆれ動く感情の動きをたどり、自分がどんなことに対して怒りを感じ、
何に不安になり、何に焦り、何にうかれてしまうのか。
それらを知った上で起こり得ること(黒パターンの暴走ですね)を予測することができる、
と話を変換しながら聴くと、ちょっとわくわくしました。
また、先生が言うには、
自己覚知ができて初めて自分を活用することができるのだそうです(これ、「私」の活用ですね)。
黒パターンから白パターンへ選び変え、行動を変え、本来の自分を活かすということではないでしょうか。
・・・なるほど、そうですね。その通りです先生!
と先生が実際に言ったこととは違っていますが、
自分の解釈で大きくうなずいてしまいました。
自分が学んできたことが誰かの思わぬ言葉によってリンクしたとき、ちょっとした嬉しさを感じます。
本来の意味とは違っていても(そういうつもりで言ったわけではなくても)、
自分の解釈で自分がピンときたもの、それこそ背筋が伸びるような衝撃として自分に届くものがあると、
それはもうすでに自分のものとなって生かされていく、ということがあります。
都合よく捉える・・・と言えばそれまでですが、
その言葉から想像するものに、心が広がる感覚、おだやかに軽やかになっていく感覚のものは確かなものです。
自分に必要な気づきが与えられたと思っていいのかなと思います。
その後の研修はこれを機に少しおもしろくなりました(充実しました)。
仕事を通して、自分に足りないところを学んでいる。
自分に合った学び方は人それぞれにあって、
仕事なのか趣味なのか、子育てなのかパートナーのことなのか、その場所はいろいろ。
ここから(この場所)でないと、この自分には学べないようにできている・・・
ということがあるのかもしれません。
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