こういう人、再び



考えていることが理解できない、共感がないから付き合いにくい、
自分を否定されている感じがする、よって自分が傷つく・・・だから嫌い。
というのが、おおよその(自分にとっての)嫌いの構造でした。

それがパターンのケアをしていくと、
ある日突然(本当にそんな感じで)、
自分と違うから理解できないところはあるけれど、この人ってこういう人なんだな~、
自分はそこに影響されなくてもいいんだな~
と自分の中からその人は遠く遠く離れ、自分の問題ではなく、
どこか他人事のように客観的に一人の人間として相手を見れるようになるのです。
・・・というようなことを先日日記に書いたばかり。

でも、今回パターンが感じたところは、
その「この人はこういう人なんだ」という違いが分かってもなお、
でも・・・なんかやっぱり受けつけない~
という体の拒否感のすごさです。
物理的にそばにいたくないと感じるこういう人こそ、
パターンが思う『嫌いな人』『性に合わない人』なのかもしれません。

こんなときは、
何かもう今生の自分では太刀打ちできないような、
もはやここまでかもしれないという、正直あきらめに近い心境にもなります。
それはそれで、パターンを受け容れることであるため、
逆にそれができたらとても楽になるのだと思います。

でも、そんなふうに受容ができる段階ではまだ自分はない。

『なんか受けつけない』のなんか・・・って何なんだろうと考えてみました。
●この人嫌い・・・のなぜ嫌い?というところをまずはもう一度語ります。
そして選んだ白は、
〇もうその世界から自由になろう、です。
この白をもう一度使いながら、でも体に無理強いせずやってみようと思います。

先日書いた日記のように、パターンが騒がなくなってきたり、
人の捉え方が変わってきたんだなあと感じたときに、
まるでそう感じた自分を試すかのように以前のパターンが出てくるということがあります。

出てこなくなったパターンに対して、
もう出てきてほしくないと思っていたパターンがあったんだなあと、
再度認識する機会となりました。
再度・・・というか、何回でもこういうことが繰り返されますね。
これは、●パターンがなくなっていくことがいいことだ、というパターンがあるからなんだと思います。




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