宝もの
道場でこれまで先生からいただいた資料をファイルしています。 この話はこんな前から、 先生がもうすでに言っていたんだなと、 あらためて読み返して驚いたりしています。 その中で、自分を知るということをあの手この手で これでもかというくらい教わっていたことに気づかされます(今も続いているけれど)。 それは、先生の自作のものだったり、 キリストが言っていたことや仏陀が言っていたこと、 古代の哲学者や現代の心理学者、歴史上の人物や小説家、 医者、経営者、そして何の肩書も持たない人など この世に生きた人たちの多くの言葉がありました。 そして、芸術にもたくさん触れています。 感じる心を道場の中で育て(お寺に行ったり、社会科見学みたいなこともした~) 芸術、音楽、自然美、創作など、 その中で感じることもたくさんやっていました(って、今もだけど)。 また、体が弱いというパターンを持つ私たちのために、 細胞へ意識を向け量子を動かしていくことの大切さなど、 健康という意味付けを大きく広げられたのもワークのおかげです。 それらすべて非現実的なものは何一つなく、 すべてが現実に生きる自分の糧になっていったのだと、 それらを「私」は使って育っていったのだと心から感じました。 しかし・・・ それらの尊い教えを今、どう受け止め実践しているだろうか? どんなに正しいもの(真善美)であっても、 受けとる側の人間がそのときどう捉えるのか、 黒パターンで捉えればその結果を受け取り、 正しさの中身が別ものに変わっていきます。 正直、難しすぎて、 いまだによくわからないものもありますし、 少しだけこんな感じなんだろうなと感覚的にわかるようなもの、 そして、実際に自分が経験してきたことであれば理解できるもの。 今の自分のエッセンスとして、 その時その時の自分が必要なものを選んでいるように思いました。 当時の自分には通り過ぎていっただけの資料が、 今読み返すとこういうことだったんだって、 以前よりすーっと入ってくるものもあります。 これが意識の変容というものなのか。 日々のワークを大切にする中で、 こんなに自分の引き出しに宝ものがたくさん詰まっていたことを思い、 これぞ、宝の持ち腐れにならないように パターンではなく、ちゃんと「私」で生きていきたいと思った。