「私」が育つということは・・・
人は一度でも、他人に対して何か強烈なネガティブな感情がわくと、
次もその次もずーっとそういう感情を、
その他人がこれから先も自分へ与える続けるはずだ・・・
って思い込んでしまうのかもしれません。
例えば、自分を傷つけるような発言をされたとパターンが思い込むと、
もうその時点で相手にレッテルを植え付け、
その後、どんなことがあろうともその視点を中心に置いて、
相手を自分(パターン)にとって悪い人と決めつけてしまいがちです。
その狭~い世界から、突破するには、
その人を見る視点を変えてみる(自分側が変わる)
ということなんだと、一般的にはそうなんだと思いますが、
その前にその傷つけられたと思っているパターンへの理解を、
充分にしていくことから始まるのだと思いました。
そうすることが、王である「私」がすることであり、
そうできるように育っていくことも、
王である「私」の使命なんじゃないかと・・・。
パターンのことを充分に理解できる王になるということは、
ゆくゆくは、パターン(自分)だけでなく、
その相手を理解することにもつながっていきます。
今までは見えていなかったことが見え(視点が変わるということが、ここから始まる)、
相手のことよりも、
なぜ自分は傷ついたと思いこんでいたのかも知るのだと思う。
それは相手の言動について、これこれこういう言い方があったから~
という分析ではなく、
自分のパターンに、そう受け取るまでの歴史というか、
パターンの刷り込みがしっかりと刻まれ続け、
それが自分にとっての常識、普通、幸せの基準になっていたのだと気づかされます。
そして、相手も同様で、
その人が今日まで生きていた歴史があって、
その人にももちろん、パターンがあって、
その人の常識、普通、幸せのかたちがあるのだと・・・
やっと少しだけ理解が進むのだ。
そして、いろんなことがちょっとずつ見えてきたところで、
自分はこれからどうありたいのか?
ここへの問いになるのだと思う。
相手を責め、恨み続ける自分でありたいのか。
そうじゃなくて、
傷ついた自分(パターン)が過去にあったとしても、
そこに居続けたい自分でいいのか。
これからはそんな風に思った相手に対しても、
同じ人間として、
優しく大らかな気持ちを少しでも持って接していきたいと、そう心から思う人になっていきたいのか。
これを自分に問い続けることが、
王である「私」が育つ道だと思う。
コメント