投稿

2月, 2025の投稿を表示しています

そんな自分ではないというプライド

イメージ
先日の岩手クラスの勉強会で、 それぞれが持っているパターンの話をしたとき、 みなが持ち合わせているものに、 共通するプライドを見たような気がしました。 それが「そんな自分ではない!」というもの。 例えば、●他人から良く思われたい、というパターンがあった時、 他人から良く思われていないなんて・・・そんな自分ではないはずだ。 という真逆ともいえる気持ちが少なからずあったりすると、 このパターンに引っかかる、もしくはこのパターンを認めたくないパターンがあるのかもしれません。 パターンは大体にして自分の思い通りじゃなきゃ嫌なので、 その思い通りにしたい心の裏には、 思い通りにいくはずだと信じているものがあり、 同時に、それ(思い通りになる)に値する自分なのだと思っている。 それに値する自分。 って、どんだけプライド高いの~と思うけど、 良く思われないことが寂しい、悲しいということは、 良く思われているんじゃないかと、ちょっとでも思っていたからだし、 そうなるに相応しい自分であり、 そうなることにパターンは価値を置いているため、 それが与えられないと苦しくなるのだと思う。 期待外れにショックを受けるんですよね、パターンは。 プライドって、自慢げで、傲慢で、謙虚さがなくて、うぬぼれていて・・・ といった分かりやすいものだけではないのですね。 特に「悔しい」「腹立たしい」という感情がある時は、 思うようにいかない「怒り」ですから、 相当のプライドが蓄積されているのではないかと思いました。 人それぞれ向き合うパターンは違っても、 何かしらのプライドを持っているという見方をすると、 みな同じところで、もがいているのかなと思いました。 もがきながらも・・・でも、どうありたいか? そんな自分なんだなーって素直になっていきたい。 『はれひめジュース』と『黄金柑』

息抜きしました〜

イメージ
お陰様で無事母の手術が終わり、 しばしの間ですが、私も自宅でいつもの生活に戻りつつあります。 今日は久しぶりに友人に会いに行き、 今の自分に合うハーブティーをブレンドしてもらいました。 このブレンドティーって不思議なもので、 まず始めに、自分の直感だけで何種類かのハーブを選ぶんですが、 (名前も効用も伏せたまま、見た目だけで選ぶ) これがもうドンピシャに自分の症状に合ったものを選んでしまうんですよー。 すごっ! パッと見て気になるハーブがあり、 その香りも何度でも嗅ぎたくなります(体が欲していると、心地よい香りに感じられるそう)。 ハーブの仕事をしている友人 が、さらに私に合うよう飲みやすいものへと調整してくれました。 少し膀胱炎のようになっていたのですが、そこへの効用があるもの、そしてよく眠れるもの、 ビタミンCが取れるもの(お肌もボロボロだったのよ〜)で、 自分だけのお茶が完成!香りに癒され、とても柔らかな味わいです。 ハーブの話から美容の話と「女子」の会話に笑い、 とても楽しい時間を過ごしました。 疲れた時に、お茶を飲みながらのおしゃべりは息抜きの方法として一番かもしれません(私の場合は〜)。 心をオープンにしてたくさん笑えば、 余計な力が抜けいろんなところがほぐれていくのを感じました。 楽しくほっとする時間から日常に戻っても、 こちらのハーブティーをまた飲みながらひと息ついていきたいです。 色も好き〜♪

続く秘訣

イメージ
音楽番組を見ていたら、 何十年も続けてきたバンドや、何十年も歌ってきた歌手の方に目がいきます。 昔より、より魅力が増していることに聞き入り見入り、 そして、なんじゅうねん・・・という響きにも、 胸が熱くなってしまうんですね。 だって、それほど長~い年月には、 必ずや紆余曲折があったに違いないし、 そういう苦しい時期があってもなお続けてきたということは、 本当にもう、どういうことなんですか? どうやってここまで来れたんですか?って思うんです。 すごいことです、なんじゅうねんの歳月は。 好きだから、それしかないからやっている。 といった答えもあるかもしれませんが、 そこには本題の音楽が半分、 もう半分は音楽と全く関係のないようなことが、 その人の努力によって積み上げられているような気がしました。 音楽が中心の世界であって、でも音楽だけに固執しない世界です。 いろいろ正反対のものをやっていくと、 あらゆる面での柔軟さ、思考の広がり、 好きだけではないところへの向き合い方もでき、 これまで目を向けなかった才能(資質)も磨かれ、 自分という人間のバランスが取れてくるような気がします。 この丸いバランスが継続をもたらす? 好きなことを突き詰めるだけでなく、 ちょっとそこから離れる時間が、また好きなことへの深みを持たせてくれる。 そうやって何十年と一つの道であってまた、 その時々でちょっと夢中になるものも迷わず楽しめる柔軟さは、 何をするにも長続きするコツのような気がします。 長く、もうずーっとやっている…そういう人生っていいなあと思う。 八幡宮からの青空

相手にもパターンがある

イメージ
自分がパターンで言動するように、相手もパターンで言動しています。 そのことを全く理解していないと、 あんな言い方されたくなかったとか、 あんな風に思われたくなかったとかいつまでも考え続けてしまいます。 (理解していても、それはあるんだけど~) なぜ自分のことをそんな風に思うのだろうか?と、 自分の中に原因を探ります。 自分はそんな大した人間ではないのだから、 相手が言う通りだな~と思ったり、自分は調子に乗っていなかっただろうかとか、 卑しさや傲慢さはなかっただろうかと反省し、振り返ることもします。 目を見開いて、耳をかっぽじって、自分がしたこと言ったこと、 現実をちゃんと見よう。 そういう自分を知るということは、それはそれでとても大事なこと、必要なこと。 自分を知ると言えばもう一つ。 相手がパターンで言っていること(思っていること)に、 いつまでも一喜一憂している自分にも気づいていきたい。 あの人ってそういう人なんだと、 いつもそうやって自分を傷つける人、って決めつけるパターンがいる。 また、そうではない人に対しては、あの人っていつも自分に良くしてくれる人、 自分をほっとさせる人、自分をいい気分にさせてくれる人・・・ というように都合よく思うことも自分のパターンであるということ。 何かしら自分を満たしてくれる人は、みんないい人なのだ(パターンにとっては)。 ということは、 相手だって同じようにパターンでいい人、悪い人を決めているだけ。 そこに一喜一憂している自分は相手のパターンにも振り回されているのだ。 本当の「私」がパターンを理解し許そうとしているように、 相手のパターンに対しても、「私」は理解し許せるのだと思う。 「私」とはそういうもの・・・ジャッジはしないのですから。 そんな「私」だから現実を捉えられるのだと思う。 そこをもう一度認識したいと思いました。 パターンに飲まれてしまうとき、 それを許そうとしない●パターンに飲まれる自分はダメだ というパターンがあります。 ああ、今、パターンに飲まれそうになっているな~ って気づいただけでも「私」はちゃんと機能しているのではなかろうか。 そういう「私」がいることにも目を向けてみよう。 今日はどんより曇り空 寒っ

2月の講座について

イメージ
今月の【はじめて講座】ですが、 予定の日以外のところでお申し込みがありましたので、 お知らせしておりました2月23日はキャンセルの予定でおります。 ただ、もしも2月の講座に行ってみようと思っていた方がおりましたら、 2日前(21日中)までにご連絡いただけると予定通り23日も開催致しますので、 お手数おかけしますが、お申込みする〆切日をお間違えがないよう、 どうぞよろしくお願い致します! ★2月23日(日)13:30~15:00 ★やはぱーく(矢幅駅前) 1F活動スペースA ★参加費 無料 ★限定1名様 ★申込〆切 21日まで ★ ←他の開催日はこちらから! ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ さて、こちらの講座ですが、 去年一年やってみて、心のカラクリを聞いた方々から、 全くそう思わない、ピンとこない、言っている意味がわからない~ といった類の感想は無く、それがちょっと意外だったと思いました。 皆さん元々心に興味があるからなのか、 なんとなくわかりますという反応が多く、 このなんとなくっていうものを本能的に大切にしている方が多いということを感じました。 この「わかる」というもの。 その人のこれまでの経験や、おかれてきた環境、生まれ持った気質、 そしてどこの領域で生きている方であるのかによって、 心のカラクリが役に立つのかどうかがわかる、ということなんだろうか?と思います。 「領域」とは、どの世界が上とか下とかいうものではなく、 どの学びが必要であるかどうか。 自分を知る方法の一つとして私は、 たまたまこの学びを知り、それがとても興味深くて今に至っていますが、 それが、「その体験を必要とする領域」にいるということなのかもしれません。 いろいろ思いながら試行錯誤してやっていますが、 単純に、今ある悩みのヒントにしてもらいたいと思うのです。 その方法をお伝えすることが(誰かの役にほんの少しでも立てたらいいな)、 今、自分ができることの一つであるのかなと思っております。 (なので、無料) 考えててもどうしようもない悩み、宇宙からみたらちっぽけな悩みかもしれないけれど、 それでも心が苦しいときは、 それは自分にとってとても大きなきっかけをくれる大事な悩みです。 紅茶の美味しい喫茶店♪

マイペースとは

イメージ
母との生活、無事5日目。 始まったばかりの時は、とにかく大変だ〜しかなかったけれど、 日に日に何か落ちついてきました。 あれ?それなりにやればいいのかもしんない・・・と力が抜けてきた感じがします。 (長年介護している方からすれば、そうそうその通りと言われそう) いっときも目が離せないと、見張り番長のように力んでいましたが、 介護休暇を取り、少し余裕が生まれたせいか落ちついてきて見守れるようになってきました。 同じ話を母に何度もしている日常も、 何かもう母がそう思うのならそれでいいと、 笑えればそれでいいという適当さを今まで以上に自分に許せている気がします。 考えてみれば、自分が結婚する前は両親と一緒に住んでいたわけですが、 あの頃どんな風に母と関わり暮らしてきたのかをもう分からなくなっているところがあります。 その頃の日常を少しずつ思い出し、 ああ、なんか母も私もいつも自分で自分を楽しくしていたなあと、家族の中に居ながらもお互いマイペースでやってきたのかもしれないと思いました。 今は食事を作るにしても起きる寝るも何にしても、やっていることは本当に自分で言うのも何だが献身的。 昔と違い、母中心に考え自分は二の次の状態ではありますが、 でも精神的には自分が二の次になっていることの気楽さというか、 フラットな感覚が不思議とあるのです。 もしかしたらー これが本来のマイペース(自分のありたい姿)でいられるってことなのか? 普段、休みの合間にちょっと一緒にいるだけでは見えなかったことが見え始め、 自分は母を見る覚悟ができていなかったんだなあと思いました。 だけど今こうして一緒の時間を与えてもらっている。それがありがたくて嬉しい。 なんかまさしく、骨が折れるようなことをあえて母にしてもらって気づくなんて・・・ やはり親って偉大だ! 川徳のベラルボニー 楽しみ♪

娘として

イメージ
母親が骨折をしてしまい・・・ 手術ができるまでの10日間、自宅で安静にしながら入院を待つことなりました。 って簡単に言うけれどー その期間、折れたところを悪化させないように、 さらに転ばせないように家で見守らなければなりません(見守るというより、もはや見張り)。 それしか選択肢が無いとなり、 えーーー、仕事をしながらですよ私、もう、どうすんのーーー。 これが本音。 母には何度も同じ話を聞かせながら、 母も不安だろうけど、私も不安と疲労と不眠にすでに襲われてます。 今日は一日がかりの病院でしたが、 母はたまに痛みが薄れるのか、足が折れていることを忘れた動きをするんですね(その後、痛みで顔をしかめる)。 小さな子を持つお母さんのように、はらはらしながら動きを見なければいけません。 待合室にはギブスをしてなんとも痛々しい患者さんたちがたくさんいるんですが、 何なんでしょうね、 そういう大変そうな人を見てもなお自分たちが一番大変だって思う。 ホント母には申し訳ないけど・・・やっぱり介護って大変。 なんでもっと早く、家中の段差をなんとかしなかったのかと後悔。 そしたら、母も苦しまない(私も苦しまない)で済んだかもしんないのに。 バカだった。 ああ、私、手術する日までちゃんとみてあげられるだろうか・・・仕事辞めなきゃなんないかな・・・ 体持つかな、大丈夫かな・・・頭がぐるぐるしています。 いろんな人に助けてもらいながらやっていこう。 89歳。何があっても仕方ないと思う覚悟があったつもりでしたが、 本当にいざこんなことが起きると、もう待ったなしなんだなー。 ただ、 大変な事態であるには変わりないけど、 最悪かといえばそうではない(と思いたい)。 これから毎日の実務をこなしながら、 この出来事から自分は何かまだわかっていないことを学んでいくのだな。 母と娘の関係、関わる人たちとの関係、そして自分のパターン。 落ち着いて、自分をよくみていこう。

ありがとうの気持ち

イメージ
昨日から雪が降り積もり、2月の景色になりました(やっぱり雪無しでは春は来ない…)。 除雪車が通った道路は、テカテカのツルツルですので皆さま運転気をつけてくださいませ! 先日ラーメン屋さんで、ばったり母が通うデイサービスのヘルパーさんと会いました。 亡くなった父もとてもお世話になった方で、 父が認知症でなければきっとその方を絶賛していたのではないかと思うほど、 仕事ぶりはもちろんのこと、いつも温かな対応で優しい心がにじみ出ているような方なのです。 当時、父がもうあぶないという時、不安そうな母のことを思いたくさん声をかけてくれました。 母は耳が遠く空返事をしてごまかしてしまうんですが、 そういう時も、背中をさすってくれたり手を握ってくれたり。 そういうことをごく自然にする方でした。 私は当時のことが忘れられず、いつかお礼を言いたいと思っていました。 ご夫妻水入らずのお昼だったのでしょうが、 ラーメンをすすりながら、いてもたってもいられなくなり、 奥様は素晴らしいヘルパーさんなんですよ!って話しかけ、しばしお話をしました。 今その方はそこを辞めてしまったとのこと。 すごく残念だけれど、 もう会えなくてあたりまえの状況だったのに、 こうして最後にお礼を言えたことが本当に良かったと思いました。 ふと、以前にも同じようなことがあったのを思い出します。 自分がお世話になった方、両親がお世話になった方、娘がお世話になった方にばったり出会うという出来事が結構私にはある。 心に残っていることや感謝していることがあると(これは、時々ふと思い出すようなこと)、 偶然ばったりその方と会ったり、その方をよく知っている方と会ったりということが、 思えばかなりの確率であるような気がしました。 今回も話をしていたら、私が以前仕事で助けられた方のこともご親戚で、 あーだから雰囲気が似てるんだ!とまた嬉しくなりました。 もう、会うことがないかもなと思う間(再会するまでの間)って、 何かもう会えないだろうけど、気持ちとしてはずっと繋がっているような勝手な感覚があります。 不思議だけれど、そこに少しだけ安心感のようなものもあったり、 もどかしい中にもその見えない繋がりを信じているところがあるのかも。 さらに、これは自分の行動にも、もしかして助けられているのかもしれません。 一人ラーメン屋で、さも何回か来てい...

2025年の抱負

イメージ
今年の目標が定まらず・・・とうとう2月になってしまいました。 でもこの一か月で感じていることで決めました。 その目標、抱負は、なんと去年と同じ。 「どうありたいか?で常に行動する」にしました。 ただ、全く同じものではない、です。 プライドではないところでやるということ。 去年は途中から、 表面的にやっていたことに、気づけなくなってしまった自分がいました。 だから、とても苦しい思いや悲しい思いなどが、 逆に自分を助けてくれたように感じます。 傷つかなければ、それに気づけない。 ・・・そういうことから教えられたものが、 今までの『ギフト』とは違った、ありがたさを感じました。 他にも、抱負はあり~ 自分に無理をさせない生活(予定を入れすぎないようにしよう!)と、 カウンセリングできることがありがたい!という思いを常に大切にしていきたい。 というものがあります。 私がこの職業、この役割で今働けているということが、 それは本当に奇跡だと思うし、 ありがたいことでしかありません。 そして、いつまで続けられるのか、 また、何をして何をやめるべきなのか、それは天に任せるしかない。 だから、一期一会を大切にして、 ほんの少しでも誰かのために使うこの身であるよう、 この世のためになることならば迷わずやらせていただく・・・そんな気持ちで今います。 今月から、はじめて講座もスタート。 何かを自分が発信していくということの楽しさも味わいながらも、 自分自身をしっかり見ていこう。 今年一年、この体と心でできる限りのことができますように。 あらためて、どうぞよろしくお願い致します。 今日は立春 南天の実がかわいい

やっぱり自分

イメージ
他人に嫌悪感、不快感を感じてしまう時って、 自分の嫌だと思うところが、鏡のように相手から見せられているからだ、とも言われます。 自分の愛せない部分、許せない部分が、相手の中にも見え 腹が立つ時、 本当は似たもの同士だってこと。 例えば、自分のパターンとして、 物事を深刻に受け止めては、 自分はなんてダメな人間なんだと思うパターンがあります。 だからなのか、 他人にもそのようなパターンを持っていると感じると、 自分事のようになり、相手のパイプの中に入り込もうとしている時があるのです。 感情移入し、 普段自分がパターンの救済をするように、 相手のパターンも何とかしなきゃと思ってしまうのかもしれません(無意識だけど)。 でも、その一方で、 自分のパターンを嫌うパターンもあります。 そんな暗い顔をして落ち込むような人間じゃあダメでしょって、 自分の中にあるパターンを否定する(存在を許したくない)パターンです。 だから、相手に腹を立ててしまう時によくあるのは、 自分ととても似ている部分が、はっきりと見せられた時に、 そのパターン、持っていちゃダメでしょって、 怒りたくなったり余計なことを言ったりしてしまうのです。 でも、感情がわいた直後は、 なんでこんな気持ちになってしまうのか、 よく分からないことがあります。 自分と似ているどころか、正反対の性格だから?と思っているため、 相手を理解できていないからこうなるのかなと思ったりもしました。 でも、よくよく他人を観察していくと・・・自分と似てるじゃん。 自分の中にあるパターンが嫌だと思う部分は、 他人がやっても腹が立つのだと気づかされます。 いろんなパターンが、相手に投影されて引っかかるんですね。 先日も、全然反省している態度じゃなかったり、 平気なふりをしているのか何なのか、とにかく謝らなかったり、 そういうマイペースぶりを 相手の中に感じたことがありました。 ●無責任な態度を取るべきではない ●平気なふりをするべきではない ●すぐに謝るべき ●自分の非を認めるべき ・・・っていうあたりのパターンです。 そこにはパターンなりの正当な言い分があり、 大体が、自分は悪くない、自分の責任ではないと思い、 自分は正しい、自分は間違っていないと思い込んでいる。 それらぜーんぶ、自分の中にあるものでした。 自分のパターンのケアが充分ではない...