重たい朝

たくさん感情がうごき、頭がフル回転した日は、
心も体もくたくたになります。

朝の目覚めはとても重~く、
これから一日がはじまるのに、どんよりしていました。

ここから、何をどうしていこうか?
となんども深呼吸。

ひとつの出来事に心が引っかかったときは、
とてもわかりやすいです。
大抵が、自分の思い通りにいってほしいと思っていたことが、
かなわなかった・・・というのが根っこにあるため、
どんな感じになっていれば、自分は納得できたのか、安心できたのか、
いい気分でいられたのかと探っていけば、
自分のパターンが見え、そこへ集中していくことができます。

でも、次々にいろんなことが起きる、いろんな感情がわくというとき、
起きてしまったことは変えられないこととして、目の前にあり、
頭だけでそれへの対処をしています。
ここで、
自分が今、どんなふうにこの出来事を捉えているのか?
などと感じる時間は、はぶいてしまうような気がします。

ひとつの引っかかりを放置していると、
次に起きたことへも、引っかかりやすい。
もやもやしたまま、イライラしたまま、ドキドキしたまま、
心がざわついているままに次のことを捉えてしまいます。

次々に、思い通りにならないことが起きる!
のではなく、
自分がそんなふうに捉えることをやめれない!
なのでしょうね。

なんでこうなるの?
なんで、なんで、・・・
と引きずったまま、次の事柄にも、
そういう自分のままで(あるパターンのままで)物事を見続けているのです。

よく、気持ちの切り替え、頭の切り替えをしなさいと言われますが、
あたらしいものにすっかり替えるということは、
そこに意識を働かせないと、なかなかできないこともあります。

振り返ってみると、
なにも、ぼーっとしていたわけではなかった。
とは思うのですが、
そういう行動的なところではないのですね。

今、この出来事(事実)を自分はどう捉えていくのか?
ぼーっとパターンに決めさせていたのだと思いました。

行動として見れば、それなりに動いていたかもしれませんが、
どういう気持ちをそれをやっていたか?の方が、
ずっと大事なことでした。

●自分の思い通りになってほしい
という、エゴの塊のような自分が、
目の前の世界をつかみ、支配していく重たさ。
そんな自分を後悔し、ゆるせない重たさ。
他の誰でもなく、自分自身がしていることです。

「私」がそこにいない世界は、とても疲れます。
頭だけが休むことなく回転しつづけ、
寝ている間も、回転しつづけ・・・
朝のどんよりした重た~い目覚めがそれを教えてくれました。

まずは、深呼吸。
「私」はここからどうしていきたい?
と自分へ聞いていこう。












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