自分は、ダメなのか



話がまだ終わっていないところで口を挟まれ、
ばっさり話が終わり、
えーーー、な、なんで・・・とても傷つきました。
自分がすごく粗末に扱われたような、
自分の存在を否定されたような、
腹も立ったけれど、後からとても悲しい気持ちになってしまいました。

こんなふうに感じてしまうのは、
自分を粗末に扱ってほしくない、もっとちゃんと大事にされたかった自分がいたからなのです。
自分の話す内容がどんなものであっても、最後まで言わせてくれる、聞いてくれる。
それが自分を大事にしてくれている証(あかし)だと思っているので、
そこをばっさり切られてしまったと、パターンは深く傷ついているのです。

そう、これがパターンというもの。
こうしてほしい、こうするべき、こうされないと嫌、普通こうしないはず、こうするのが正しい、こうするのはいいこと。
強い決めつけのもと、常識すらある意味その時代のパターンであるのに、
あたかも自分という人間が傷ついた、かのように感じてしまうのです。

そんなパターンのことを冷静に見ている本当の「私」は、いつもすごいなあと思います。
決めつけや常識、こだわるところが一切ない世界の住人なのですから。

でも、パターンが感じていることには心配無用だと言います。
どんなパターンであっても、何も心配することはないと。
傷ついた自分は全くもって『ダメではない』からです。

本当にこのいたってシンプルな『自分はダメではない』ということについて、
何度も何度も一つのパターンをめぐり、それは必ずダメな人間であることを思い起こさせます。
歴史は繰り返される・・・ではないですが、
しつこいほどに繰り返し、思考がどうしてもそこへめぐるのです。

「やっぱり自分ってダメだ~」
「いや、ダメってことはない(そうそう)」
「いいや、ダメすぎるでしょ(ここまで来たらもうダメ)」
「いやいや、それでもダメな人間などこの世に存在しない・・・(信じなさい)」

と、永遠に頭の中でやり取りが続いていくのだと思うと、ちょっと冷静になると笑えますね。

自分はダメな人間ではないけど、パターンは傷ついた。
というところかもしれません。



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