わかったふり
いら立ちと、悔しさと、落胆と、思い出すだけで自分自身にあきれ、ため息が出ます。
苦手な相手と、自分が決めつけている人がいます。
その方と話をしたとき、身構えているのでしょうね、
言葉もぎこちなく、ちゃんと話さなきゃと思ってしまい、
ちゃんとわかっていないのに、さもわかったような振りで話してしまいました。
そうです、このわかったような振りをするという癖。
この方に対して、確か以前もそんな感じだったなあ、自分(回想中)。
思えば、こうして、自分から苦手な人という決めつけがあると、
自然体でいられないことがあり、
余計に話すか、不自然に話さないか、の二択になっていたなあと思います。
この『苦手』の背景には何があるのかと考えます。
きっと、ありのままの素の自分で接していては、
自分はこの人から好かれることはないだろうし、評価されることもないだろうと、思っているのです。
これは本当の「私」が思っていることではなく、あくまでパターンが、です。
逆を言えば、自分だって好かれたいし、ちょっとは尊敬もされたいし、
仲良くなりたいとも思っているパターンがいるのです。
こうして自分に問いかけると、
ある意味、どう思われても構わないという相手ではなく、
かかわりを持ちたいと思う人だったんだと、気づきます。
だけど、ありのままの自分では良い関係性を持てないと思い込んでいるので避けていたのです。
その思い込みは、本当にあきれるほどに自分をじたばたさせる。
客観的に見ている本当の「私」というものは、
そんなじたばたしている自分でも全く構わないし、
いつか、ありのままの自分でその人と接していきたいと思う自分でも、どちらもOKなのですから、
ゆるせないのは、「私」ではなく、自分のパターンのしわざです。
でも、先日のその体験で、
慌てふためいた自分がいて、
わかったふりをした居心地の悪さを感じた、ということがかなりわかった気がします(数を重ねた結果)。
その気持ち悪さを変換したいのです、次こそは・・・。
次に会う日が来るのか来ないのかわかりませんが、この気持ち悪さをまずは何とかしたい。
どんな自分をも助けてあげたいと思いました。
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