町内会のかたち



町内会の役員決めがありました。
今年度から持ち回りとして来たのですが、
集会の日が知らされず(他にもたくさんそういう方がいたよう)、
役員がほとんど決まらなかったということで、
前役員の方々が一軒一軒をまわり、お願いして歩いているようでした。
とりあえず自分たちも、これなら何とかやれるのかなあというところで決めさせていただきました。

数日経って・・・
実はまだ会長はじめ、たくさんの役員が決まっていないということ。
再度集会がありましたが、そこでも決まらず、
とうとう住民投票で推薦された方から決めようということになって・・・なおも、決まらない。
ということで再々再度の集会が行われたのでした。

参加してみると、前役員の先輩方からのこれまでの苦労話がありました。
なぜ、こんなに引き受けてくれる人がいないのか。
原因はここ?

先輩方の年齢的なころでの限界はとてもよくわかるため、
何とか代替わりをしたい、というのはもっともだし、
誰しも、もう充分働いていただいたのでゆっくり老後を送ってほしいとみんなが思っていると思います。

でも、いざじゃあ誰がこの町内のことをやるのか?と問われれば、
やることはそんなに難しくないから、と言いつつも、人知れず大変なことを長年やってきたんだという話を聞いてしまっては、
みんな口を閉ざしてしまいます。
誰が住んでいるかもさっぱりわからないし、
自分たちには仕事もあるし、みんな自分のことで精一杯なのに、
お金にもならないことをするような心も時間も余裕がない・・・。

話を聞いていく中で、
数年前にはじめて町内会に参加したときのことを思い出していました。
先輩方に言われた通り、厚生部という部員になり、わけがわからないまま動いていていましたが、
車が運転できるというだけで重宝がられたような記憶があります。
60~70代の方から見れば、当時40代の自分はひよっこ。
気が利かないことだらけでも、大目に見ていただいていたんだろうなと想像がつきます。

コロナ前ですから、普通に敬老会もお茶飲み会もあり、
確かに面倒で大変だったけれど、みなさんが楽しそうに笑う姿を見て、一緒になって笑ったことを思い出しました。
その後は、なかなか外を歩いていてもお会いすることがないので、
あの方はお元気でいるかなあと気になって思い出すこともあります。

そんな話を、静まり返ったさなか、
自分でも意外だったのですが、自己紹介を兼ねて話してみました。

すると、先輩方から、
「そんなふうに楽しい思い出があって、いがった(良かった)。嬉しい」
「こんな町内会嫌だ、と言われたら、なんじょしようかと(どうしようかと)思ったじゃ」
この集会に参加する前までは、
自分もできれば面倒なことはやりたくないと思っていたので、
先輩方からの反応に何だか恥ずかしくなりました。

『黙る』というのは、わからないことをより深めます。
何も通い合うものがそこにはないんだなと、気づかされた思いがしました。
何も知らない、経験が乏しい自分が余計なことを言ってはいけないと思ったのですが(これがパターン)、
黙るほどに、それは自分が意図していないこと(相手への否定、非協力、無言の反抗)
に受け取られてしまうのだと思いました。
協力したいけれど、できない事情もあるということ、
少しなら協力できるということが伝わっているのと、
はじめから協力しない(黙る)、とでは全然違ってくるのですね。

町内会ってそもそも必要なのか、という意見が出たほどだそうです。
でも、どんなに高齢化が進んでも町内会をやめたところはいまだかつてないそう。
ネットが見れないお年寄りは、市の広報をよく読んでいますし、
資源回収や、ゴミが出せなくなるのは本当に困ります。
そして、今回のように参加することで身近に住んでいる人たちのことをほんの少しでも知れるというのは、
ここで暮らしていける安心にもつながると思いました。

自分たちがこの土地で平穏に暮らせているのは、この土地の神様に守られているからだと思うのですが、
住んでいる方々が平和に暮らせている、そのことがまた自分へもかえってきているのではないかと思います。

ということで、
今回集まった方々で、ここで暮らしていくために必要最低限のことを協力してやっていきましょうと、
『無理しない町内会活動』で一致し、無事すべての役員も決まりました。
かたちに捉われず、思ったことが言える、言ってもいいと思える会に変わり、
気持ちも軽くなりよかったです。

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