ハードルを下げる
今日の岩手クラスの勉強会は、
久しぶりにZOOMで友と会うことができました。
電話で声は聞いていたけれど、
やはり顔を見て、思ったよりも元気そうだったことが本当にうれしく思いました。
充分に休養してもらいたいと思うし、
その間というのは、いつもと全く違う感性を持っていると思うので、
そのとき感じたことを、次に会ったときに教えてもらいたいなあと思いました。
体が思うようにいかないとき、
その真っ只中にいる時は、他人のことがとてもうらやましく感じることがあります(自分がそう)。
普通に仕事に行っていることも、買い物に行けることも、近所を歩くことも、
顔を洗ってお化粧をして洋服に着替えて外に出るということ自体が、
特別なことだったんだと感じるからです。
つい最近まで自分だってそうやって暮らしていたのに、
それができなくなったつらさというのは、
終わりの見えないトンネルに入ったかのように、体以上に心がつらいものです。
ごく普通に暮らしている人を見て、すごいなあ、パワフルだなあとか、
幸せそうでいいなあとか感じると思うのですが、
今居る自分の場所というのは、そんなに遠く離れたところではない。
けれど、自分が普通の世界から、普通以下の世界へいってしまったかのように感じることがあります。
人をうらやましく思ったり人と比べてしまうときは、
他人へなるべくエネルギーを使わないようにすることも、
大事なことなのだと思いました。
自分の体へ目を向け、自分の心を自分が守る。
今、もしもこれをしたら『快』なのか?それとも『不快』なのか?
たったこれだけの判断を頼りに、今日一日を過ごしていくのもいいのかなと思います。
他人よりも自分を何よりも優先するのです。
そうやって、
ちょっとずつ眠れる日が増え疲れが取れてきてはじめて、
外からのエネルギーを必要としたくなるのかもしれません。
やさしくやさしく、内へこもっていたかたまりの中に、そっと光を届けるかのように人から自然からエネルギーをもらうのです。
それまでは充分、内へこもっていて大丈夫。
健康で元気いっぱいで疲れ知らず、なんて日は、
もしかしたらそんなに多くはないかもしれません。
そこそこやれる、なんとかやれる・・・というくらいであればいい。
こんなふうに考えられるようになってきたということは、
心に少しゆとりが持てるようになり、たくましくもなり、
健康へのハードルはぐっと下がってきたからなのかもしれません。
そう。年々、健康に対してのハードルは下がりっぱなし。
調子が悪いときこそ、
いかに心をがっかりさせないようにしようかと、そこだけ考えています。
とにかくゆっくり行こう・・・
急がず、のろまな亀のようにゆっくり動いてみるのだ。
50代は、40代の頃と違って、
本当に冗談抜きで無理がきかなくなっていることを感じます。
ただしその分、心の受け皿は以前よりも深く少しだけ大きくなり、
自分なりの健康を目指しはじめる年代なのかもしれません。
同年代の友人がいて本当に良かったと思うこのごろ。
励まし合ったりなぐさめ合ったり、そして笑いのネタにしながら~
これからも皆様、どうぞよろしくお願いします。
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