だから高校野球

今日は、朝からずーーっと高校野球ざんまいでした。

3年ぶりに選手全員が行進した開会式。
きれいに整備された甲子園のど真ん中に、
47都道府県の代表校がそろい、一同そろって前進していく姿は圧巻でした。
本当に美しく、感動的でした。

山崎育三郎さんの独唱「栄冠は君に輝く」も、
本当にすばらしかったです(独唱のあとの合唱も、よかった)。
いつも堂々としている方なのに、ちょっと声が緊張しているような・・・?
と思ったら、
この素晴らしい舞台で歌えること、
こみ上げてくるものを一生懸命こらえながら、歌わせていただいた。
と後から話されていたので、
一流の歌手であっても、あの場の特別で神聖な空気に圧倒されたのを思うと、
それもまた感動したのでした。

今日は、はじめから野球漬けの一日にする予定ではなかったのですが、
この暑さで出かける用事が億劫になってしまったのと、
もしかしたら、まる1日野球だけを見て過ごせる日なんて、そうそうないと思い、
よし、今日はTVにかじりついて観戦しようじゃないか!!
と決めたのでした。

開会式と第一試合の間に、洗濯たたみと、もろもろの書類整理をし、
第一試合と第二試合の間に、昼食を作って食べ、
第二試合と第三試合の間に、近所のスーパーへ猛ダッシュで買い物を済ます。
見たい!と思うと、それを叶えるために動きがこうも違ってくるのですね。

WBCを観たときもそうだったのですが、
すごい選手と言われる人たちは、
野球そのものと、それに関係することすべての考え方、とらえ方、あり方・・・
といった見えないものに対してのすごさがあります。

それはもう何か、あたり前のような気がしますし、
監督も、選手のそういうところをみて伸ばしているのだと思います。
身体能力と精神性、理論に基づいた実践もあり、自分を深く掘り下げていった先に見えるものを見ているかのようで・・・
また、個人ではなくチームとしてのあり方も自分たちで考えていけるのだろうと思いました。

そして、野球がとにかく好きなのでしょう。
打ちたい、投げたい、走りたい、いいプレイをしたい。そして勝ちたい!
その純粋さはゆるぎないもの。
これはもう、何かを極めていくときの共通項のように、
身についているのではないかと感じました。

インタビューに答える選手たちは、
自分たちが高校生だった頃とは違い(そりゃそうだ)、
物事の考えが深く、感受性も高く、
かといっていつも熱いわけでもなく。
すでに野球を通しての哲学ができているようにも思いました(数年経てば、また新たな哲学をつくるのかもしれない)。

そして、
自分ひとりでは、決して今ここにいない、
ということをよくわかっているような感じを受けます。

野球をする自分を導き、励まし、
守ってくれているものを信じている(人も神も)。
その中でがんばってこれた自分自身も信頼しているように見えました。

高校野球って、一生懸命なプレイだけでなく、
そういうところが垣間見れておもしろいのだと思います。


こちらは、今年できたばかりの岩手の球場



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