尊敬している先生
やっていることは教育というより救助です。
泥沼にはまってもがいている生徒のところに駆けつけるレスキュー隊のような存在です。
はじめて先生とお会いしたとき、なんて強引な人なんだと思いました。
教師とは思えない言葉遣いで、一言でいえば、おっかない・・・(怖い)。
支援者へのダメ出しがまずはあって、無茶な要望、無茶なスケジュール。
こちらも勤め人ですから、やれることとやれないことがある。
って迷っていたりすると、先生はその迷いにばっさりと言います。
「(支援者)失格だな・・・」
わたしもそうつぶやかれたときは、背筋がぞーっとしました。
先生を見ていると、他人からどう思われてもいいという域を超えているため、
今のこちらの心の状態をそのまま言葉で返され、腹も立つのだけれど、
その正直さに一周回って納得してしまう、ということが多々あります。
年がら年中、生徒のために動いているようにも見えますが、
意外と自分の時間も持っていて、自分を犠牲にしているようなところは微塵もない。
思い立ったが吉日、周囲を振りまわしているかのようでいて、そのタイミングが絶妙。
先生曰く、このタイミングが大事なのだそう。
その先生と久しぶりに会い、
元生徒と話す様子を横で見ていて、
本当にその子の悲しさを受けとめている・・・と思いました。
でも、受けとめているばかりではなく、必ず強さも引き出してあげているのです。
ここが本当に生徒にとっては、自分の力を信じてみようと背中を押してもらっているのだと思う。
受けとめるというのは、理解があって共感がある。
嘆きや怒りの根底にある孤独や悲しさは、
そこにただ耳を澄ませ、ただ隣りに座り、わかっているからもう安心していいと、一人じゃないと言ってあげる。
そこが充分に伝わると、
やはりここからは、一人で生きていく力がほしいのです。
どんなに傷ついていても、その力が、あなたにはあるんだよと言ってあげる。
自分がこのやり取りを見せられたのも、
今のわたしに合ったタイミングだったんだなあと感じました。
10代のときに自分を理解してくれる大人がいたというのは、大きいです。
自分で自分がわからなくなってしまう、ということがあったときに、
他人が自分を理解しようとしてくれていることがきっかけとなって、
自分が見えてくるということがあるからです。
こんな、型破りな先生(男の先生を想像したかもしれませんが、違いますよ)。
一体どんなふうに年を取っていくんだろう。
自分としてはそこも興味深いところです。
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