救いの音




あんなにポップスが(昭和歌謡含め)大好きだったわたしが、
クラシックを聴く日々がやってくるなんて・・・信じられません。
先日の勉強会でも、芸術がテーマでした。
音楽だけでなく、絵画や陶芸、子どもが描いた絵から野に咲く花にいたるまで、
感動する心はあらゆるものから自分を解放させてくれます。
そして、本当につらいときは何も考えず、
ただただそこに身を置くだけで心と体と魂があらわれていくような気がします。

芸術というと、どこか非日常的な感じがありました。
特にクラシックは、特別なときに聴くような音楽。
本当にこれは思い込みでしかありませんが、
ピアノを習うような感性豊かな人でないとわからない音楽というか、
クラシックが好きな人は、きっと自分にはない何か特別なものを持っているような気がしていました。
自分の世界にはないもの、『別世界のもの』。

そう、この別世界へ、
苦しさでいっぱいのとき、つらいとき悲しいとき、
今見えている世界とは違う、別の世界に触れてみたいと思うときがあります。
それが、わたしにとって、
クラシックが聞きたい・・・だったのです。

自分がまだ見ていない、まだ感じられていない、
そういう触れてこなかった世界、知らない世界から、自分に向けて何かを教えてもらいたいと思いました。
その領域にしかない、大きな優しさ、豊かさ、癒す力、
自分をはるかに超えるような高次の世界観が広がっているのかもしれない。

YouTubeでいろいろな曲を聴きまくりました。
一つ一つの曲に涙があふれました。
はじめてなのに(はじめて最後まで聴いた曲)、
まるでこの曲が、自分を理解しているかのように、包みこんでくれているような感覚がありました。
心が震え、心が救われていくのがわかりました。

何百年も前に作られた音楽が、自分と共鳴している。
自分が思っていた意味の『別世界』ではなく、
むしろ遠い記憶の懐かしさにあふれ、
深い悲しみへの共感と、深い喜びへの共感、どちらも感じられるような、
人間の生きる美しさのようなものを感じました。

音楽を聴いていると、
苦しさの中にやすらぎを見出す、という言葉を思い出します。
苦しいからこそわずかな変化、柔らかな変化、流れが変わるきざしに気づけるのかもしれません。
それこそが、自分の求めているものでもあります。
安心できる場所だから、安心するのではなく、
どこにいてもいつでも、どんな自分にもなれるということ。
そうなっていけるよ、と音楽が教えてくれたような気がします。

母のことで、祈るような毎日がありましたが、
その度にわたしを助けてくれたクラシック。

クラシックに限らず、いろいろな芸術に触れるということは、
自分自身の本来の姿を思い出させてくれるものなのですね。
この美しい世界の中に、もうすでに自分はいたんだと思います。







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