審査員
ある競技会の審査員を頼まれました。 審査員というと、緊張感高まる会場で必死にやっている選手たちを横目に、 悠々と採点しているちょっと偉そうな人をイメージするかもしれませんが(自分がそうだっだ)、 そんな余裕をかましている心境ではまったくなく・・・ 選手以上にもがいてました。 競技課題の作成も担当していたこともあって、 数か月前からすでに大会が始まっているかのように、落ち着かない状態。 できた課題は、知的障害のある選手たちにちゃんとわかるものであるだろうか。 難しすぎないか・・・いや、意外と簡単なのか、目的からずれてはいないだろうか等々、 一番苦手なことを、自分やっているなーと思いました。 考える(いつも思考で頭がぐるぐるしていた)ことが圧倒的に多かった昔と比べると、 今はぐるぐるして止まらない・・・ということはなくなり、 ●考えるのはよくないこと、というパターンすらあったのかもしれません。 そのせいなのか、何なのか、 考察する、熟考して何かを作り出す、という作業が長きに渡ると、 頭も体もとても疲れてくるのです(試験勉強がそうだった)。 よ~く考えなきゃと思うほどに、 体に不快感が走り、息詰まってしまう自分がいます。 でも、今回はまずよ~く考えて作ろうと思ったのです。 課題を作るなどこれまでの人生ではほとんどないことだったと思うので、 本当に頭を使いました。 それが、ある程度やってみて気がついたのですが、 考えると言いながらも、 そこには想像力、判断力、知識、知恵、意思力、集中力、柔軟さ、美的センス、効率性など、 たくさんの自分の中の資質を使っている、使わないと考えられないんだなと発見。 そして、思考錯誤する中でも大切なことは、 それをやるときの自分の感覚や感情も必要な要素なのです。 そこに清々しさはあるか、軽さはあるか、すっきりとした感じ、柔らかさ、広がりを持てるか(窮屈さはないか?)。 やはり、感情と感覚が自分を後押ししてくれるのだと思いました。 大会では、勝ちたい選手と、その選手を応援する側、選手を公平に審査する側、 大会を無事進行したい運営する側、それを補佐する側、 それぞれの立場があり、それぞれの気持ちが交差するような場だったように思います。 おもしろいなと思ったのは、 発せられる言葉を聞いていると、 あたり前ですが、みんな自分の立ち位置で話をしているだけな...