わかってもらおう!というのは違う
●わかってもらいたい、というパターンをケアしていった先に、
〇わかってもらわなくてもいい、という究極の選び替えがあります。
そこにたどり着いてはいませんが、
もうこのこだわりから自由になろう!
というものを選択することがあります。
でも、そもそも、
わかってもらおう!というのは、違うんだよと、
カウンセリングの先生からずばり言われ・・・
胸にじわじわと悲しみが込みあげてきました。
なぜ、こんなに悲しいのか?
パターンの言い分としては、
わかってほしいことのなにが悪いの?
わたし、こんなに頑張っているのに・・・
わかってくれないなんて、おかしいでしょう!
わかってもらうことが、あたり前なことなんだと、
パターンは思い泣いているのです。
わかってもらうだけでなく、
認められる、ほめられる、注目される、大事にされる、というのは、
自分の人生の中で(特に幼少期)、
ごく自然なこととして、親が私へしてくれていたことでした。
自分にとってのそれは『あたりまえ』だったのです。
だから、そうはならない、自分にそうしてくれない人がいると、
え、なんで、そんな反応になるの?
と疑問が先にわくのです。
可愛がってもらったから、
褒められて育ったから、
両親はわかってくれるという安心の中にいたから・・・
だから、大人になってパターンがさわがない。
ということではないということ。
あたり前にあったものが、
与えられなくなったことへの悲しみ。
そして、さみしさ、怒り、憎しみへとつづく。
今の両親へそれを求めてはいないつもりでしたが、
もしかしたら、まだ年老いた両親へ、
さらに、自分(パターン)の望む他人へ、
その安らぎの世界を求めていたのかもしれません。
パターンの望むようにはならないということを、
もうあきらめる時期にきているのでしょう。
でも、それをはっきりと認める勇気がない。
わかってもらうということ、それ自体が本来『違う』のです。
現実をしっかり見なさいと言われたような、
そんなパターンの寂しさを感じました。
これからは、相手も、自分自身も、
自由になって、一人でも大丈夫やっていかれると、前を向きたい。
そういうカードを、少しでも多く選びたいです。
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