自分の中にいない



今日は、はじめての感覚を体験している話。

自分の中にある根深いパターンの代表的なものに、
「○○さんが嫌い」
というものがあります。
この○○さんというのは、ときに変わることもありますが、
ほぼ同じ人のケアを何年もしてきたという、私の長~い歴史があります。

嫌いな人がいるって、
カウンセラーを名乗っている者が、そんなことでいいのか?
と思うこともありました。

でも、嫌いなものは嫌い、苦手、憎い。
と思っているパターンが、
そう思わないパターンよりも、いつも勝っているのです。

しかも、いつまでたっても○○さんが嫌いなままの自分が嫌い。
とも思っているのです。
パターンを嫌うパターンがある。
という複雑な自分なのです。

これら2つのパターンを、繰り返しケアしてきましたが、
あまり感情がひっかからない日もあれば、
本当にもう無理ーーーー!
と泣きながら、嫌悪感と絶望感を味わう日もある。

そうやって、ここ数年はやっと、
まあ、嫌いなのはしょうがなんだから、
もう無理しなくてもいいよ・・・

っていう、嫌いという感情がわく自分自身を、
少しはゆるせるようになってきた。

ところが、
このだいぶやわらいできた心と、バランス感覚は、
最近さらにまた変化してきました。
それは意外にも、
自分からその方へ、感謝の言葉を発したことで、はじまった気がします。

その言葉は、とてもうっかりしたものだったのです。
私としたことが、こんな嫌な人に対して、
なんて素直なことしているんだろ?

もうずいぶんと久しく出会えていなかった、
素直な自分。
(内容はちょっと割愛させていただきますがー)

そう、本来の「私」であれば、いつだって素直なんです。
本当はそうしたかった、ずっとそうありたかったのだと思いました。
つまり、
「私」で生きていないことが(黒パターンだけで生きることが)、
本当に苦しかったと思うし、
もうこれは味わいつくしてきたのだと感じました。

ここから逃れたいというよりは、
違う世界をつくりたい・・・という感じに近いかもしれません。
この体験から、
自分の中から、その人がいなくなっていくような感じがあります。
頭の中にも、心の中にも、
どの五感にもあまり触れてこないような感覚。

今まで自分が見て聞いて、感じてきたものは、一体なんだったんだ。
見ていたのは、何を見ていた?
聞いていたのは、何を聞いていた?
感じていたのは、だれだったのか・・・

みんな、ただそこに存在している人。
自分のパターンが、その人の人格を決めていたのかもしれません。

・・・なんて話を、わざわざブログに書いた矢先に、
またパターンはさわぐことも、あるあるなんでしょうが、
このバランスは保っていけそうな気もするし、
そうではなくても、やっていけそうな気もします。
そういうはじめての「やわらかい心」を自身の中に感じとっているのでした。

なぜ、自分が素直になれたのかは、正直よくわかりません。
それに、好きになったわけではないですし、
嫌いという感情が100%消えたわけでもない。
ただ、気づくと、気にならない人でいることがふえました。

これが新しい、はじめての感覚です。


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