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自分のやることをハッキリさせよう

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茅ヶ崎クラスのセミナー1日目が終わり、 まずは、何を私は感じたのか? はい、ズバリ、やることをやっていなかった・・・という驚きと嘆きです。 そこをやらずして、全く違うところであれこれ悩んでいたんだ。 そうだよ、何でそこ、抜けていたの?バカバカバカ・・・ 自分でもあきれてしまったし、腹が立ったし、情けない気持ちになりました。 でも、ここで、ただ嘆いても、 あーこれだから自分ってダメなんだと落ち込むのも、パターンを大きくしていくだけ。 だから今、自分の状態を知れたことが本当に良かったと、そっちの方に心を向け、 やることをやっていくだけです。 新しいことを学ぶことは、わくわくするし楽しいのだけれど、 それを取り入れるだけのスペースが無ければ入ってこないことを教わりました。 停滞していたものをさっさと壊し、そこに自分自身にふさわしいものだけを入れていきたいです。 また、今までずーっとやってきたことも、本当にやれているかどうかの現状をよく見て振り返ることも必要。 ちゃんと自分を見ているのか? 何かに甘えてはいないだろうか? 執着して見えなくなっているものはないだろうか? うまく行かないことが続くときは、 自分が気づかないうちにやっていること(または、やらないでいること)があります。 頑なに変わらないもの(忘れているもの)が自分の中にあるんですね。 「私」がパターンを選び換え、意識を変え、いい感覚に十分浸りながら行動に移しているかどうか。 その良き感覚を持続させているかどうか。 心折れる時もあってはいいが、いつまでもそこに停滞していないか? あの良き感覚を思い出し意思を持って、 心折れた時こそ、自分はどうありたいのかと問いただそう。 それが私のやることなのだ。 私にとってすごく大事なところに戻れたことがうれしいです。 外を変えようとするな。 自分を変えよ。 魂が欲することを考えよ。 今日も一日、先生、みなさんよろしくお願いしまーす! 気持ちいい青空!

わくわくに乗って

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1月ぶりの 茅ヶ崎 へ向かっています。 やっぱりそうだなあと思うのは、私ノリ鉄なんだなあと(今さらだけど)。 新幹線も電車も車も、滅多に乗ることないけど飛行機も好きだわ〜 窓から見る景色にわくわくします。 東北を南下していくと田植えされた一面みどりの田園風景が広がり・・・きれい! この心が震えるような、ときめくようなことが好きだと思いました。 田舎から都会に向かう途中の、自分の住む街とは違うのどかな色に、 じーんときたり、ほっとしたり、無の境地のような(いえ、無はよくわかりませんが) こうして、ひたすらボーっとする時間が、今までの私を作ってきたのかな。 なるべく頭を使わず、感じる3日間でいこうと思います! 旅のおともに ちひろのお菓子

はじめて講座〖5~6月〗

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今年のゴールデンウィークは、ここ数年分の日本中の我慢が爆発したかのように、 どこに行っても人、人、人で混雑しているようです。 盛岡名物の福田パンも、見たことないような行列でした! 昨日はそんな中、講座が開催できたことが本当にありがたく・・・ いつか参加してみたいと思っていたんです、と、 かばんの中から小さく畳んだチラシを見せていただいたとき、 もう感謝の気持ちでいっぱいになりました。 その勇気って、特別なものだと感じます。 自分も、はじめてカウンセリングを受けようかなと悩んだとき、 ものすごくドキドキしました。 何て言われるんだろうっていう怖さもあった。 でも何か一歩踏み出せるんじゃないかという、ちょっとの希望も感じて、 そして勇気を振り絞って行ったことを覚えています。 だから、悩みの真っ只中にいて、 小さな光を見つけられるということが(それが勇気) すごいことだと思っています。 心のからくりを、ハウツーとしてではなく、 見えていないものの世界を感じられるように話せたらいいなあっていつも思います。 シンプルな話ではあるけれど、 そこに豊かな広がりのある世界があることをお伝えできたら・・・ と、それが自分の目指しているところ。 そして、回を重ねるごとにそれを一番実感するのは私自身なので、 神さまから、まずお前ががんばれ! と言われているような気がするんですね。 心のことって、大事だとわかっていてもそこをあまり強調しすぎると何だか引いてしまうと感じます。 見られたくない部分を見るからなのか。 別に、心の仕組みを知らなくたって生きていけるし、 現実的に今の苦しさから逃れられる方法だけを知りたいと誰だって思う。 ましてや年齢を重ねていけば、経験として自然とわかることもあるし。 じゃあ、なんであえてそこをやっていくのか? 自分にとって、良かったものが、 たくさんの人にとっても良かったと思うわけではないというのもわかりつつ、 でもやっぱり、自分を知ることの面白さは、 すべての面白さ、この世の興味につながっていると思うのです。 何より、 自分で自分を救っていけるということが、最もぴったりくる答えを持って進めるんだと、今は体感しています。 そんなふうに変わっていくことが楽しいから(←これが一番)自分はやっているんだなあ。 自分との信頼関係さえ築けていけたら、 自分らしい人生になって

語りかけは急がず慌てず

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先日出てきたパターン に、 しばらく語りかけをしたいと思い、ここ数日やっています。 「私」が全~部、その気持ちをわかってくれると知って、 パターンの安心感はだいぶ違ってきました。 心がすーっと落ち着く感じがあり、そのことをもう考えなくなってきています。 それでも、まだやってます。 考えなくなってきていても、 もうパターンが騒ぐきっかけの人と会うことがないかもしれないと思っても、 長い間、無視され続けてきたパターンの寂しさはパッとなくなるわけではないからです。 パターンが騒いだのは、 共感されないことに対しての居心地の悪さや、 この人苦手だわ〜私には無理〜って思う、人に対する嫌悪感のところ。 それがなんか無くなってきたなあで終わるのはちょっと早い。 それがあっても大丈夫な、 そんなことを(この人嫌いだ!と)感じた自分を、 ちゃんと許せるようになることが大切なのだと思いました。 パターンで反応してはいけないということではなく、 パターンで反応することは悪くはない。でも私は、それをもう選ばないという感覚。 反応は、長い間無意識に習慣化されたものだから、 反応しないための練習(丁寧な語りかけ)は必要。 筋トレとおんなじだなー。 だから、いったん感情としては落ち着いたところで、 さらに語りかけを静々とやって体に染み込ませています(←ただいま筋トレ中)。 何を語りかけるのかも大事だけど、 どんなふうにパターンへ語るのか? 一回で変化が出たからやめるのか、もうつらい状況が去ったから次のステップに進むのか。 この工程を急がないように。 嫌なことが去っていって良かったあ〜 ということで終わりがちだけど、 変化しはじめたその大きな目で、どっしりと、ゆっくりとそれらを咀しゃくしていく。 早食いじゃなく・・・やっていこう! また飛行機に乗りたいなー

自分でやらなければ、何も変わらない

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久しぶりに出てきたパターンに、ひるみました。 そうだ、そうだ、私この人のこと嫌いだったんだーーー! と思うパターンです。 長い間、パターンも出番がなかっただけでした。 オロオロしているうちに、苦手意識はどんどん大きくなり、 ああ、もういやだ、逃げたい・・・ってパターンは意気消沈しています。 自分には対応する力がない・・・ってパターンは信じています。 今まで、ここのケアをしてこなかった結果。 以前は嫌だと思っても、たまたま何とかすり抜けてきた。 いつも他人が解決してくれていたように思う。 だから、今回も誰かの手を借りて解決しようという頭になったんだなあ。 でも、世の中そんなにあまくない。 パターンのケアをしたからではなく、 人に助けられてきたから、何とかなっていただけなんだから、 なーんにも自分は変わっていないんです。 今、パターンから、 もういい加減気づいてくれーーー! ケアしてくれーーー! って訴えられているような気がした。 自分自身の努力で超えてきたことではないと、 また、同じような場面になればいとも簡単に感情は騒ぎます(パターンが暴れる)。 自分でやらなければ、何も変わらない・・・ この法則、本当にゆるがなく繰り返されます。 無視してきて本当にごめんなさい。 今度こそ、このパターンに語っていこう。 ムードある喫茶店