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面倒な方を選ぶ

誰かが言っていた言葉だと思うのですが、 迷ったときは、面倒だな~と思う方を選んだほうが良い。 そうすると、面倒な分、動かなければならないことがあり、話さなければならないことがあり、考えなければならないことがあるということですよね。 その経験をすることで、自分は成長するのだと。 その一方で、 自分のキャパはこれほどは大きくないのだから、面倒なことはできないよ、と。 こちらも最もらしい考えです。 しかし、「迷った」というところに注目してみるとー 迷っているのは、やるという考えとやらないという考え。 この思考というものは、ほぼパターンだということです。 自分は、今、パターンの声を聞いて迷っている、ただそれだけ。 なんだ、そうだったのか・・・ 面倒なことをやってみて、 失敗したくないっていうパターンが 「失敗したら、ほら見たことか、と言われたくない」 「恥さらし」 「自分にはそんな力はない」 などなど、必死で訴えてくるんです。 「私」とパターンを、まずはしっかり分離することをやりたいです。

日記を書きます

昨日から日記を書いています。 しかも、恐れ多くも、人に読んでいただく日記を。 今日の出来事を記録したいから 書いて心の整理をしたいから いやなこと吐き出したいから などなど日記はそういうものだと思っていました。 ですが自分をふりかえると、 カウンセラーの先生 の日記をかれこれなんと、8年間読み続けていました。 紆余曲折しながら日記に支えられてきたことをあらためて感じ入ります。 一人でも、普通の主婦だと思っている人が、 自分はダメだと思っている人が、 そして、しあわせになりたいと願う人たちが日記を読んで、 そうではない本当の自分がいることを思い出し、楽に生きるヒントになればいいなあと願います。 というわけですので、これからどうぞよろしくお願いします!

核心にふれない

問題がおきたとき、核心にふれずに解決しようと思うことがあります。 できれば、簡単に、労力を使わず、穏便にすませたい。そう思えば思うほど、どんどん複雑になり問題がいつまでも解決しない、ということがあります。 それはそうです、だって一番大事なことを無視しているのだから。 核心にふれようとしないとき、パターンは「嫌われたくない」「責められたくない」「うまくいくはずがない」などと自分をとにかく守りたい一心であれこれ言ってきます。 そんな自分が(パターンが)ずっと主張してきたのだけれど、もうそろそろ、そのパターン休ませてあげてもいいのではないかと思えたのでした。 勇気を出して、それって変ですよね!と、言ってみても大丈夫かなと。 言ってみての結果がどうであれ、今言えたということが大事。 今日はそんなことがあり、誰のためでもなく自分のために言えました。 しばらくは休ませてあげたいと思ったパターンは、ちゃんとその後もしっかり、もう大丈夫だよと言ってあげないといけませんね。 パターンに対しての責任をきちんと果たしていきたいと思いました。